−Bath drinker−
ソファでごろ寝を決め込んでいるとがちゃりという鍵音と共に扉が開く音が聞こえた。
かつんというヒールの音がその人物を特定させる。
いつもならここで「ただいまー」と少し間延びした声が聞こえてきてそれに適当な返事を返すところ。
しかし何故か今日はそれがなかった。
こちらから「おかえり」なんて声をかける習慣など無いため黙っていると
なにやらばたばたと慌しい音がし、扉を閉める音とともにそれは静まった。
察するにそれはバスルームの方へ駆け込んだ音。
常ならぬ雰囲気に疑問符を浮かべつつも特に気に留めず再び目を閉じる。
程なくしてシャワーの水音が耳に入ってきた。
ぼーっとした頭に何かが引っ掛かり眉間に皴を寄せる。
―――・・・俺風呂場に時計置いたままじゃね?
思い出した瞬間飛び起きた。あの腕時計は耐水性ではないのだ。
脱衣所に駆け込むと女物の衣類が目に飛び込んできて一瞬躊躇する。
しかし事は急ぎだと、そこから中へ声を掛けた。
「おい、そこに俺の腕時計ねェか?」
呼びかけると少しの間をおいてきゅっと蛇口を捻る音がし、水音が止まった。
しばしの沈黙。
「・・・この黒いやつ?」
「おぉそれだ。悪ィがこっちに寄越してくんねェか?」
なんだかの声が変だった気がしたが、風呂の中にいるせいだろうかと首を傾げる。
シャッとシャワーカーテンが動く音響いた。
「鍵開いてるから入ってきていいよ」
・・・いや、閉めろよ。そういや脱衣所の鍵も開いてたな。
男の同居人がいるというのにあまりに無防備過ぎやしないかとため息を吐く。
さすがに女の入浴中に入るのは躊躇われたが
本人が良いって言ってんだから良いだろうと戸を開けた。
濃いアイボリーのシャワーカーテン越しに薄っすら人影が見える。
カーテンの端から時計を持った手がにゅっと突き出された。
濡れて雫を垂らす白く細い腕が目に入り気まずさが込み上げる。
「悪ィな、サンキュ」
出来るだけ平静を装ってそれを受取った。
時計のベルトがだらりと垂れ、手遅れだったかとがっくり項垂れた。
とにかく早くここを立ち去らねばと足を踏み出してから、ふと思い留まった。
どうも様子がおかしい。
何も返事がないことに違和感を覚える。
確かにいきなり風呂場に乱入されて居心地悪く黙っているとしても不思議はないのだが。
ならば気にしないでとかどういたしましてだとか、何か言葉を返してきそうなものである。
帰宅時のまるで風呂場に逃げ込むような様子といい、先ほどの鼻声といい
これは何かあったなと考えるには十分すぎる条件が揃っていた。
「おい、何かあったのか?」
単刀直入に尋ねる。しかし中からはぱしゃりと静かな水音がしただけだった。
「・・・もっかい来るからちょっと待ってろ」
返事を待たずにキッチンへ行き、冷蔵庫から缶ビール2本を取り出した。
女の風呂場にずかずか踏み入れるのも如何なものかと一瞬頭を過ぎったが
面倒なのであまり深く考えないことにした。
再び浴室に足を踏み入れれば、湯船に浸かっている陰が薄く見える。
「ほらよ」
カーテンの端から缶ビールを突っ込むと、恐る恐るといった感じでそれは受取られた。
「たまにゃ湯船で一杯も悪くねェだろ?」
自分の分をプシュッと空けながら声を掛ける。
間を置いて中からも同じ音が聞こえたかと思うと、カーテンの端からそろりとそれが出された。
一瞬突き返されたんだろうかと思ったが
「・・・かんぱい」
という小さな声で意味を理解し口端を上げた。
カコン、と缶をぶつけると再び腕はカーテンの奥へと引っ込んだ。
ぐびっと美味しそうに喉を通る音が聞こえてくる。
別に自分はここで呑むつもりはなかったのだが、つられて一口流し込んだ。
冷えてて美味い。
そろそろ出ようかと思った時。
「・・・ありがとう、ゾロ」
弱々しい声が自分を引きとめた。
ズッ、と鼻を啜る音がして、やっぱり泣いていたのだと確信した。
「別にね、大したことじゃ、ないんだけどね・・・」
それは先ほどの問いかけに対する答えだった。
言葉を途切らせながらゆっくりと言葉は紡がれた。
隣にあるトイレの蓋の上に腰を下ろし、それに耳を傾ける。
要は、仕事でミスをして落ち込んでいるということらしい。
それのせいで他人に迷惑がかかってしまったのだと。
自分一人が損をするならいざ知らず、クライアントを巻き込み
そのせいで自分と一緒に上司にも頭を下げさせてしまった。
大事には至らず、相手先からも上司からも特に咎められはしなかった。
しかしそれがかえって心苦しかったようだ。
自分の未熟さにどうしようもなく嫌気がさしたのだと。
ぽつりぽつりと話されるそれをただ黙って聞いた。時々ビールを喉に流しながら。
真面目な奴だと思った。真面目で不器用な奴だと。
もっと適当にしたたかに生きりゃ楽だろうに。
ただただ一生懸命な人間だ。きっと馬鹿をみることも多い。
でもそういう奴は嫌いじゃないと感じた。
話し終わる頃にはビールを飲み干し、ぐしゃりと缶を握りつぶした。
静かな沈黙が流れる。
「、一つだけ言いてェ事がある」
「・・・なに?」
「今度から風呂場で泣くの禁止な」
「え?」
カーテン越しの陰が少し動いた。
「女が風呂入ってるとこにそう何度も入り浸る訳にもいかねェだろうが」
そう言うと、小さく笑う声がした。
「こんな堂々と入って来るからそんなこと気にしないのかと思った」
そう思われても仕方がないだろうが、言われるとなんだか居心地が悪くなる。
今回は風呂場で泣いてたお前が悪い、なんて人のせいにすればいっそう笑い声は大きくなった。
笑われたのは面白くないが、笑う元気が出たのは良い事だ。
顔を見られてないのをいいことに口元を緩ませる。
「とにかく今度から泣くならリビングにしろよ?」
「それも同居のルール?」
「おー、同居にはいろいろ決め事が必要だからな」
「同居って大変ね」
言いながらころころとは笑った。
どうやら落ち着いたらしいと分かり小さく安堵する。
そんな自分に気づき居心地が悪いような心持ちになった。
こんなお節介はガラじゃない。
「大体、こんなとこあのクソコックに見つかったら何言われるか分かったもんじゃ・・・」
「あれ、風呂に入ってんのゾロか?ちゃんじゃねーの?」
噂をすればなんとやら。
タイミングよく声を掛けられて思わず体を強張らせた。
いつの間にか帰ってきたらしいもう一人の同居人は脱衣所の方から不思議そうに声を掛けてくる。
脱衣所の服を見てが入っているのかと思ったら、中から俺の声が聞こえたというところだろうか。
「あれ?やっぱちゃんだった?」
少し焦ったような声色が混じる。
面倒臭ェなとため息を吐くと、が小さく噴出した。
・・・お前は良いけどよ、この後間違いなく絡まれる俺の身にもなれよ。
そう言ったところでコイツは笑うだけだろうが。
いよいよ混乱した様子で「え?どっち?」と尋ねてくるぐる眉に答えるとそれは見事にハモった。
「「りょーほー」」
たっぷり間を空けた後、「はぁぁあぁァァァ!?」という間抜けな絶叫が響き渡った。
その取り乱しっぷりにとこれまた同時に噴出した。
やれやれと浴室から出るとすごい形相をしたコックが説明しろ!と絡んできた。
面倒臭ェからアイツが風呂から上がったら聞けよと去なしたが、が来るまでひたすらぎゃーぎゃーと騒がれた。
から一部始終を聞くと予想通り蹴りかかってきやがり
レディの入浴中に浴室に入るなんてうんたらかんたらとひたすら説教された。
気が済むと今度は一転しての慰め役にまわり
美辞麗句だの甘ったるいセリフだの、よくそんなにぽんぽん出てくるなと呆れるほど言葉を並べた。
も照れてはいるが、満更でもなさそうだ。
やっぱりこういうのは俺よりコイツの方が向いている。
ケッ、よくやるぜ、なんて悪態を吐きながら焼酎に口をつける。
まぁおかげでやけに豪勢な飯が出てきたから何でもいいがな。
お前ェの為じゃねェよと言いつつも、クソコックは俺の前に酒の肴を並べた。
言ってることとやってる事が矛盾してんだよテメーは。
そんな俺たちを見てが楽しそうに笑う。
コックがキッチンに行くと、が俺に向き直った。
「ゾロ、話聞いてくれてありがとね。嬉しかった。」
「・・・別に礼なんていらねェよ。」
言い方がぶっきらぼうになったのは、目の前で笑顔を見せるに
さっきの濡れた白い手が頭を過ぎったせいだ。
シャワーカーテン越しの陰が今になってやけに鮮明に思い出される。
「ゾロなんか顔赤いよ?このくらいで酔うなんて珍しいね?」
「いかがわしいことでも考えてたんじゃねェの〜?このスケベマリモがッ」
「テメーと一緒にすんじゃねェよ!」
戻ってきたコックに図星を指されて赤くなった俺を見て
なんの疑いもせずに無邪気に笑うに罪悪感を覚える。
腹立つヤツだが、今だけはここにクソコックがいることを感謝した。
じゃなきゃ俺は余計なことを考えちまいそうだ。
そんな諸々を誤魔化すかのようにグラスの酒を一気に煽れば
高ェ酒なんだからもっと味わって飲め!とキッチンから怒声が響いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゾロ・サンジとルームシェアという乙女の(邪まな)夢を詰め込んでみた