−僕の温もりは君だけの為に−
―――俺じゃ駄目なのか?
寂しげに目を伏せる君に何度そう告げようと思ったことか。
俺だったらそんな風に君を悲しませたりしないし、絶対に傷つけたりしない。
そんな風にひとり泣かせたりなんて・・・。
いくら強くそう思ったところで口に出せないのは
君にはアイツしか見えていないんだってことを、嫌ってくらいに分かっているから。
そう、どうしようもないくらいに。
俺に出来ることと言えば、少しでも慰めになるようなものをコックとして、仲間として彼女に提供すること。
ラウンジに小さく零れたため息を背中で聞きながら、俺はコーヒー豆をミルで挽いた。
ドリッパーをセットしたカップにいつも以上に丁寧に湯を注ぐ。
香りよく湯気の立つカップを彼女の前にコトリと置いた。
少し驚いたように顔を上げた彼女に笑顔を向ける。
彼女も微笑み返してくれたけれど、それはひどく弱々しいものだった。
マグを口に近づける様を少し緊張して見守る。
自信はあるけれど、やはり自分が出したものを口にしてもらう瞬間はついそうなっちまう。
その相手が彼女であるから尚更に。
こくりと飲み込んだ彼女が驚いたように顔を上げるのを見て、ついイタズラが成功したみたいに嬉しくなる。
けれどあくまでそんな素振りは見せずに涼しい顔で。
「いつものに深炒りした豆をブレンドして淹れたんだけどどうかな?気に入らなかったらすぐ淹れなおすよ」
「ううん、これすごく美味しい・・・」
“美味しい”という言葉に上機嫌になる。コックとして何より幸せな瞬間。
今はそれ以上に一人の男としての感情の方が強いけれど。
さっきよりも少し明るくなった彼女の表情にほっとした。
するとカップを手で包み込んだまま目を伏せた彼女がぽつりと呟いた。
「どうしてサンジ君には分かっちゃうんだろうね・・・」
“どうして”?
―――それは君と同じように報われない恋をしているからだよ。
君がアイツを見ているように、俺が君を見つめているから・・・
そんなこと言えるはずもない。心の中で自嘲を零す。
「そりゃあ一流料理人ですから」
おどけて言えば彼女はふわりと笑った。
そう、この笑顔が見れるだけで十分だ。
彼女に背を向けて再びキッチンに向かい、シンクの皿に手を伸ばした。
歪んだ顔を水の冷たさのせいにして。ため息を煙草の煙と一緒に吐き出して。
ふいに。背後で、ぽちゃり、と雫が落ちる音が聞こえた気がした。
目の前でザーザーと水音がしているのに、どうしてそんな微かな音が聞き取れたのかは分からない。
ただ、少ししてから聞こえてきた苦しげに噛み殺される嗚咽に気づいて。それは、君の涙が零れた音だと。
きゅっとコックを捻り、濡れた手を拭いた。
振り返ればテーブルに伏せられた小さな肩が震えていて。
思わずそれに奥歯を噛む。泣くのならばいっそ思い切り声を上げてくれればいいのに。
必死に押し殺される泣き声に胸の奥が痛む。
思い切り抱きしめたい。けれど俺にその権利はなくて。拳をきつく握り締める。
丸窓の向こうから近づいてくる人影に気づく。
急いで椅子に掛けてあったジャケットを彼女に被せた。
ばたん、と無遠慮に開かれた扉から入ってきたそいつについ眉を顰めたくなるのを堪える。
最低なタイミングだ。
甲板でまたトレーニングをしていたらしいクソ剣士は暑そうに汗を拭った。
「おいコック、水くれ・・・ってこれか?何やってんだ?」
机に伏せる彼女を気にする素振りに、触れるんじゃねェよと苛立つ。
先ほどまで震えていた小さな肩がじっと身を硬くしているのを横目で見遣りながら適当に誤魔化した。
「寝不足なんだと。おら、水やっからさっさと出てけ。汗臭ェおめェがいたら安眠妨害だろうが」
「あァ?なんだとコラ!」
「うるせェよ、起きちまうだろ。ほら、しっしっ」
一刻も早くゾロを追い出そうと、水を渡して早くしろと促す。
マリモの悪態に耳を貸さず扉を閉めるとラウンジに再び静寂が訪れた。
名目は“彼女のため”。けれど彼女への気持ちがある以上、結局は自分のエゴにしかならない。
ヤツを追い出したことも、泣き顔を隠したことも。結局は俺の独占欲なんじゃねェだろうかと疑心暗鬼に囚われる。
けれど再び小さく上下し始めたその体に、そんなもんどうでもよくなっちまう。
丸窓から甲板を見れば、他のクルー達は自分の時間に夢中になっているようだった。
時間的にもしばらくは邪魔が入ることはないだろう。
小さく乱れた呼吸の音にそっと手を伸ばして頭をぽんと撫ぜた。
「他の連中は各々なんか忙しくやってるみたいだし、しばらく誰も来ないから。焦らないでいいよ」
ゆっくりとジャケット越しに撫でれば、堰を切ったように嗚咽が漏れ出す。
その泣き声はひどく切なくて。その小さな体にはとても抱えられそうになくて。
なぁ、そんな細い体じゃ潰れちまうよ。
少しでいい、その苦しみ俺に分けてくれねェかな?
俺のワガママでいいから。自己満足でも構わねェから。
君を放っておくなんて真似、俺に出来る訳ねぇんだ・・・
色んな言い訳を並べても、そんなのを考えるより早く体は動いて。
半ば衝動的にその小さな体を腕に閉じ込めた。
「・・・サン・・・ジ君・・・?」
くぐもった声が戸惑いの響きを含んで腕の中から聞こえた。
きつく抱きしめれば想像以上の細さにどきりと胸が跳ねた。
「ちゃん・・・俺は・・・」
俺は何を言おうとしているんだろう。
・・・何考えてんだ、こんな時に。
自分の欲を振り払い、今の彼女に俺が伝えられる言葉を探す。
そっと一呼吸ついてからゆっくりと口を開いた。
「アイツの代わりにはなれねェけど、ハンカチの代わりくらいにならなれるよ」
出来るだけ重くならないように、言葉を選んで。
だけど、それは本心だから。
君のためなら何にだってなれる。
寒い日は君を包むコートに。雨の日は濡れないように傘に。
君が涙するならハンカチに。その小さな体が震えるのならいくらでも抱きしめよう。
君を傷つける全てのものから君を守るよ。
だから・・・側にいさせてくれないか。
俺を必要としてくれないか。
たとえ・・・一番じゃなくてもいいから・・・。
腕の中で小さく捩った体に気づいて腕に力を込める。
みっともない顔を見せたくなくて。
それに気づいたのか、彼女は小さく笑った。
「・・・随分、豪華なハンカチだね・・・」
そんな呟きに安堵して小さく笑い返す。
片手を小さな頭に回してそのさらりとした髪を指で梳くように撫ぜれば華奢な肩が震えた。
「・・・・ごめ・・・・・少しだけ・・・このままで・・・いさせて・・・」
きゅっと俺のシャツを掴んだ消え入りそうな呟きは涙交じりだった。
胸が締め付けられて、それを埋めるかのように強く抱きしめる。
少しだけだなんて言わねェで。俺は永遠にだってこうしていたいんだから。
互いに座ったままの格好では隙間が埋めきれずにもどかしさが募った。
もうがむしゃらに抱いてしまいたかった。
けれどそれをぎりぎりの理性が歯止めをかける。
ほんとクソ情けねェ。けど君が大事で仕方がねェんだ。
いっそ欲望のままに掻き抱いてしまえたら楽なのかもしれねェ。
なんだってこんな愛し方しちまったんだか。
こんな、傷つけることが怖くて近づけないような。
それでいて、恋しくて決して離れられないような。
そんな想いは身勝手すぎて。
とてもじゃないけど伝えられない。
だから君にはただ、温もりだけが伝わればいいと、馬鹿みたいに俺は必死に願っていた。
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