−恋の試練−
この状況はどうしたもんだろうか・・・
湯槽に浸かりながら扉の方へと視線を向ける。
木扉の奥には小さな気配。それは扉に背を預けて蹲っているであろう彼女のもの。
「サンジ君ちゃんといるー・・・?」
不安げな声色に苦笑を隠しながら答える。
「ちゃんとここにいますよ、君のナイトは」
素裸でナイトもクソもねェだろうがと内心ツッコんだが、心細げなプリンセスを安心させるためならばそんなの構ってられねェ。
ふぅ、と小さくため息を零すと、ずるずると湯ぶねに沈んだ。
ことの発端は数時間前。
ラウンジでウソップが怪談話を始めた所から。
見事に胡散臭い話ばかりだったが、恐がりのちゃんとチョッパーにはそれでも十分効果があったらしい。
二人で身を寄せあってガタガタ震え上がっていた。
話が終わると一人場違いな程のんきにハナクソほじってたルフィが二人をからかうように突然大声を出した。
それに追随するようにウソップも「今甲板に人影がっ!?」なんて白々しい小芝居を始め
その度に二人は絶叫して面白いほどの反応を返した。
そろそろ止めてやんねェとな、と下ごしらえする手を止めて野郎共を叱る。
「おめェらいい加減にしろ。レディーをイジメんじゃねェよ」
それに「へーい」とつまらなそうに返事して、三人(チョッパーはウソップに抱えられて)はラウンジから退場した。
実は俺も怖がるちゃんが可愛くて話が終わるまで黙認してたんだから本当は言える立場じゃねェんだけどな。
そう心で舌を出しつつ顔を上げれば、未だソファで固まっているちゃんの姿がそこにあった。
「ちゃん大丈夫かい?」
問えばカタカタと震えながらこちらに視線を向ける。顔は青ざめていてどう見たって大丈夫じゃない。
「部屋まで送っていこうか」
苦笑しながら近づくと、ちゃんは少しの間をおいてぶんぶんと顔を横に振った。
「い、いやだっ・・・ナミもロビンももう寝てるもの・・・」
そんな部屋に入るのは怖いと震えた声で言う。そんなものだろうか。
どうしたものかと思案していると、突然居住まいを正してちゃんは両手を合わせた。
「お、おおお願い!サンジ君と一緒にいさせて!?」
そして数分後。
キッチンには妙な光景が出来上がっていた。
何故だか俺の左足にはちゃんの腕がしっかりと巻きついている。
怖いからくっついていたいのだと懇願されて頷いたものの、まさかこういう体勢になるとは思わなかった。
俺の横に座り込んでひしっと脚にしがみ付く彼女を見下ろし、どうしたものかと悩む。
レディーを地べたに座らせるなんざ俺の趣味じゃねえ。
「あのさぁちゃん、その体勢はやっぱ・・・」
「いやっ、お願い!離れたくないの!」
いや、それものっすごい嬉しいセリフなんだけどね?
どうせならもっと甘い雰囲気のシチュエーションで言われてェなァなんてバカなことを考えつつ
ぎゅうっと懸命にしがみ付いてくる彼女につい眉尻が下がる。
なんかコアラみてェ。いやコアラよりちゃんのが100万倍可愛いけど。
「離れろなんて言わないよ。でも床に座ってちゃ冷たいだろ?くっつくなら脚じゃなくて腰とか別の場所に・・・」
「でも・・・お料理の邪魔にならない?」
不安げに見上げてくる彼女に平気だよとにっこり笑いかけた。
・・・が、それが大きな間違いだった。
後ろから腰にぴったりと抱きつかれて早くも後悔の念が沸き起こる。
俺自ら地雷踏んだんじゃ・・・?
視界には白くて華奢な腕が見え、背中にはやわらかな感触。
ちゃんに抱きつかれているという状況を実感して心臓が早鐘を打ち始め、手元が狂いそうだ。
いやいや、料理に集中しろ俺。そう、この目の前の野菜を切ることに集中するんだ。
それで隣の鍋にドミグラスソースを加えて肉が柔らかくなるまでコトコトコトコト
柔らかく、柔らかく、柔ら・・・・・けェなァオイ。クソ、なんで俺上着脱がなかったんだ。
シャツだけだったらもっとこう直に・・・って違う!違う違う!ちゃんじゃなくて料理だ料理!
ああ・・・本当にこりゃ拷問だぜ。気を抜けば全意識が背中に集中しちまう。
背中に大きなマシュマロみてェな感触がが二つ・・・
え・・・?マシュ・・・
えぇぇぇ!?ちょ、ええ!?もしやちゃん・・・付けてないんじゃ・・・
まじでか!?寝るときは付けない派!?
うぉぉぉぉいッ!マジでなんの拷問だこりゃ!?
これってもう据え膳食わぬはとかいう状況なんじゃねェの・・・?
いやいやいや、待て待て!据えられてねェから!
確かに超豪華会席料理並のご馳走ではあるが据えられてる訳じゃねェ!
ちゃんは怪談話に怯えてるだけなんだよだから俺にくっついてんだよ。
怖さを紛らわすために頑張ってんだ頑張ってんだよ。んん!俺頑張ってるヤツ食わねェ!
って何ルフィ化してんだ俺!しっかりしろ!落ち着け!
「サンジ君・・・?どうかしたの?」
ちゃんに呼ばれてはっとする。
完全に手が止まり百面相していた俺を訝しげに見上げている彼女と目が合う。
それすらも起爆剤になりそうな俺は相当追い込まれているのだと自覚した。
これはマズい・・・。無駄に咳払いをしてから意を決して口を開く。
「いや、なんでもねェんだ、けど・・・あ・・・のさ、やっぱちょーっと離・・・」
「えっ・・・」
離れてと言いかけた俺に心底不安げに潤んだ瞳を揺らす彼女。
ちょ、勘弁してください今俺の理性絹ごし豆腐なみにもろいんだから・・・
つーっと目を逸らした俺をどう解釈したのかちゃんは必死になって懇願する。
「お願い!離れろなんて言わないで!サンジ君から離れたら私・・・っ」
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
詰め寄られた俺は手元を狂わせてステンレスのボールをシンクに落とした。
ガゴンッ!という大きな音が鳴りそれに驚いたちゃんが悲鳴を上げる。
「いやぁーーーーーーーっ!?」
「うわっ!?」
驚いたちゃんが思い切り俺に体当たりした。
キッチンとちゃんに挟まれた俺は上半身がつんのめって危うく包丁で手をざっくりやりそうになった。
あ、あっぶねェェ・・・ッ!
だらだらと冷や汗かいているとちゃんがはっとして俺の手元を覗き込んできた。
「あっ!ご、ごめんね!大丈夫だった!?」
「う、うん平気だよ」
「・・・やっぱりこれ止めたほうがいいね」
「そう、だね・・・」
引きつった笑みを返してそう言えば、彼女はまた俺の脚へと逆戻りしていった。
背中から離れていった温もりにほっとしながらもがっかりしている自分がいる。
いや、これで良かったんだ。良かったんだよ。
俺の手ならまだしも、彼女の手を傷つけちまったら大変だし。そう、だからこれで良いんだ。
そう必死に言い聞かせる自分は大分冷静さを欠いているのだと気づけるほどの余裕なんて俺にはなかった。
とにかく彼女をそんな場所に長居させないようにと、俺は手を早めた。
しかし仕込みが終わったら終わったで難題が降りかかる。
彼女はもう風呂から上がっているが、俺はこれから。
風呂に入ってる間はどうしたって離れなきゃならねェ。
さてどうしたもんか。彼女と向かい合いながら腕を組んで悩む。
深刻な面持ちで必死に悩む彼女の姿に思わずふっと笑みが零れた。
「なんなら一緒に入る?」
気楽になってもらおうと冗談めかして言ったのだが、顔を上げた彼女は真顔だった。
「・・・入ろうかな」
「えぇぇッ!!?」
「な、なーんちゃってぇ・・・」
「だ、だよねぇ〜」
あははははは・・・と二人の口から乾いた笑いが零れる。
シャレになんねェよ・・・。
まぁついそんなことを口走ってしまうほどに彼女が精神的に追い詰められてるってことだ。
仕方ねえんだ。だから本気にすんじゃねェよ俺・・・
そんなこんながあって、今現在こんな状況になってるって訳で。
俺が風呂入ってる外でちゃんが待ってるなんて。
どうせなら逆が良か・・・いやいやいや、違う違う違う。
そうじゃねェだろうが何考えてんだ。
ただでさえぎりぎりの理性なんだからこれ以上余計な妄想で暴走すんじゃねェよ。
邪な想いを沈めるように湯船にぶくぶくと潜る。
酸素不足になった頃ぶはっと顔を出し、ぶるぶると頭を振れば勢いよく雫が飛んだ。
あぁ、もうなんかのぼせそうだ・・・
もう上がろうと再び扉の方へ声を掛ける。
「ちゃーん、俺そろそろ上がるから一旦脱衣所の外に・・・」
呼びかけるが返事がない。
「ちゃーん・・・?」
アレ?
そういや始めの方は引っ切り無しに呼びかけてきた声が途中から止んでいた。
物音ひとつしない。どうしたんだろうと不安が過ぎる。
風呂から上がり腰にタオルを巻いて扉に近づく。
「ちゃん?どうかした?・・・開けるよ?」
何度か声をかけ、確認してから恐る恐る扉を引けば、蹲る彼女からすうすうと小さな寝息が聞こえてきた。
どうやら待っている間に寝てしまったらしい。
なあんだ、と安堵しつつもどうすべきかとまた思い悩む。
まさか寝ている彼女と同じ部屋で着替える訳にもいくまい。
そう思い、彼女を濡らさないためにざっと体の水分を拭うとそっとその体を抱き上げて一旦外へと出した。
壁に凭れ掛けるようにして廊下に座らせ、脱衣所へと戻り扉を閉める。
あんな寒い場所に長く置いておく訳にもいかねェから早く着替えねェと。
そう思い俺は髪をわしわしと拭きながら籠に入れていたパジャマに手を掛けた。
が、しかし。
ふいに外でがたっと音がして。
「サンジ君っ!?」
悲鳴に近い声が聞こえたかと思うと唐突に扉が開かれてぼろぼろと泣きながらちゃんが突進してきた。
それにぎょっとしていると勢いよく抱きつかれて俺はなす術もなく後ろに倒れる。
床に転がった衝撃で腰やら背中やらに痛みが走るがなんとか彼女を支えるのは間に合ったようだ。
け、けど、この状況は・・・っ!
「いつの間にか私寝ちゃってて起きたらサンジ君いなくてびっくりして怖かったよぉ〜!」
うわ〜んっ!と、泣きじゃくりながら一気にまくし立てるちゃんをよしよしと撫でる。
ごめんね、怖かったよね。よしよし。
けど今この状況も違う意味で怖いんだよ?動揺しすぎて気づいてねえかもしれねェけど・・・
「あのさ・・・ちゃん、俺まだパジャマ着てないから・・・」
恐る恐る口を開くと、ゆっくりと顔を上げた彼女が潤んだ瞳できょとりと俺を見つめてぱちぱちと大きく瞬きした。
そおっと視線を下にずらす。そして自分の手が触れているのが俺の素肌だと気づくと目に見えて硬直した。
ほぼ素っ裸の男を押し倒しているという状況を徐々に理解しつつあるようだ。
俺の髪の毛からぽたり、と雫が垂れる。
「っきゃーーーーーーーーーっ!!」
顔を真っ赤にして悲鳴を上げながらちゃんは脱衣所から飛び出していった。
扉を閉めた向こう側からごめんなさいごめんなさい!と必死に謝る声に
引きつった笑みを浮かべて大丈夫だからと心にもない言葉を返してみる。
どこが大丈夫なもんか・・・
ぎりぎりだ。俺は今、ぎりっぎりだ。
濡れた髪を掻き上げながらのそりと立ち上がれば、目の前の鏡には情けないほど顔を赤くした男が映っていた。
気まずい空気を漂わせながら俺たちは一旦ラウンジへと戻る。
なんか変に疲れた・・・。
けど最後に大きな問題が待っている。このあとどうするか、だ。
俺の中ではもうこれ以上一緒にいるのは危険だとさっきから警報機が壊れんばかりに鳴っているのだが
しかし自室へ戻るのは怖いと彼女は言っていた。
ってことは・・・
「サンジ君、一緒に寝ちゃダメ・・・?」
ってなる訳だ。
予想出来ることではあったが実際に彼女の口から聞くと思わず生唾を飲んでしまう。
彼女の後ろではラウンジのソファが俺を手招きしていて。
そして目の前には純粋無垢な瞳を揺らしながら俺を誘う意中の天使。
これぞまな板の上の鯉!一流料理人の腕の見せどこ・・・って違ェ!!!
不埒な思考を追い払うためぶんぶんと頭を振ると、見上げてくる彼女の心細そうな表情が悲しげに曇った。
それにズキリと良心が痛む。俺を信頼してくれて頼ってくれてんのに、俺ときたら下心でいっぱいだ。
けどこれは好きな子を目の前にすれば当然起こってしかるべき感情な訳で。
だから彼女の為にもちゃんと断るべき・・・
「お願い・・・サンジ君・・・」
う゛っ・・・いや、でも、ここは心を鬼にして・・・
「ちゃん、こればっかりはやっぱりさ・・・」
「お願い・・・」
あぁぁぁ・・・泣き顔クソ可愛い〜〜〜っ!!
「おねがい・・・」
あぁクソ!その顔は反則だろ!?
そんなのっ・・・断れる訳、ねェ・・・
「・・・一緒に、寝ようか・・・」
白旗を上げて呟けば彼女はぱあっと顔を輝かせた。
ありがとうっ!と無邪気に抱きつかれて意識が遠退きそうになる。
今日ほどレディーに甘い自分を呪ったことはねェな・・・
大して広くもねェソファでぎりぎりまで距離を取って彼女の隣に横たわる。
暴れだしそうになる欲望を抑えるのに必死な俺に眠気など訪れるはずもなく
体は疲れきってんのに目はぎらぎらと冴えるばかりだ。
しかし彼女の方は「おやすみサンジ君っ」と気が狂うほど可愛らしくはにかんで
早々にすやすやと眠りについてしまった。
こっちはちっともおやすめねェんですけど・・・
そのあどけない寝顔に微かな焦りとも苛立ちともいえる苦しさを覚える。
ここまで信頼されきってるっつーのは男としてどうなんだ?
意識されてねェにも程があるだろう・・・。
そっと触れればその白い頬は驚くほど柔らかく
そのままするりと首筋から手を滑らせれば艶かしい鎖骨が・・・
・・・・・・・・・・・・
って何してんだ俺!?
あ、危ねェ・・・今無意識だったぞ・・・?
・・・やっぱ無理だ。このまま彼女を女部屋へ運ぼう。
げっそりしながらようやく決意して起き上がろうとしたその時。
ふいに小さな手が俺のシャツをきゅっと掴んだ。
「サンジく・・・」
寝言を呟きながらちゃんがふわりと微笑む。
それにドキリと胸が高鳴り淡い期待が沸き起こった。
彼女は俺の夢でも見ているんだろうか?
ちゃんの言葉が頭を過ぎる。
『サンジ君、どこにもいかないでね・・・?』
不安と心細さで、その目いっぱいに涙を溜めながら何度もそう繰り返した。
きっと今こんな風に安心しきった表情を浮かべているのは俺がどこにもいかないと信じているから。
その信頼を、裏切ってもいいのか?
迷う俺の目の前でちゃんは言葉にならない声を呟き、幸せそうに笑んだ。
それは見ているこっちまで幸せな気持ちになっちまうような寝顔で・・・
・・・・・・・・・・・・はぁーーーーーっ。
盛大な溜息を吐いた俺の顔はどうにもこうにも緩んでいた。
ズルイよなぁ。笑顔ひとつで俺の心を動かしちまうなんて。
いよいよ心を決めた俺は、開き直ったように頬杖をついてそのあどけない寝顔を眺める姿勢をとった。
ここまで耐えたんだ。こうなったら朝まで耐えてやろうじゃねェの。
愛しい君のためならば、拷問だろうがなんだろうが乗り越えて見せるぜ恋の試練!
レディーの寝込みを襲うなんざ騎士道が廃るってもんだ。
その身も心も欲するならば、それをレディーに望ませるのがラブコックの腕の見せ所ってもんだろ?
必ずそのハートを射止めて手に入れてみせる。だから今はとりあえず・・・
その前髪をさらりと上げて額にちょんと口づける。
これが今回の報酬、ってことで。
柔らかな髪を梳けば微かに彼女が微笑んだ気がした。
つられて頬を緩めながら可愛い寝顔に目を細める。
いつかきっと、怪談話の後なんかじゃなくたってこの愛しい寝顔を側で見ていられる日が来ることを祈りながら・・・
―――翌日、目の下に盛大な隈を作った俺が寝不足の腹いせに長っ鼻を蹴飛ばしたことは言うまでもない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
崩壊度32%増(当社比)