−ターナルポーズ−



吹いた風にぶるりと体が震えて毛布の合わせ目を強く握り直した。
日中は涼しくて過ごしやすかった海域も夜ともなるとさすがに冷える。
小さくくしゃみをした瞬間。ふわりと新しい毛布が掛けられた。
驚いて顔を上げるとトン、と軽い音を立てて黒いスーツを纏った長い脚が見張り台に降り立つ。

「差し入れをお持ちしましたプリンセス」

バスケットを掲げながらそんなお芝居みたいなセリフをさらりと口にして、その人はにっこりと微笑んだ。

「ありがとうサンジ君」
「どういたしまして。これ、熱いから気を付けてね」

厚手のマグに入れられた湯気の立つココア。甘いそれに身も心も温められて。
幸せな気持ちで美味しいと呟けばサンジ君は良かったと本当に嬉しそうな顔で笑った。
嬉しいのは私の方のはずなのに。サンジ君は私より嬉しそうに笑う。それがいつも少しだけ不思議だった。


やがてバスケットのものを並べ終えたサンジ君が
私と同じように見張り台の壁に背を預けて新しい煙草に火を点けるから少し慌てる。

「サンジ君疲れてるんだから、無理して一緒に居てくれなくて良いよ?」
「無理なんてしてないさ。それにこんな寒い夜に一人じゃ寂しいだろう?」
「私は平気だよ?」
「いや、俺が」

部屋に戻れば一人ではないのにサンジ君は寂しいと言う。
きっとどうしてと尋ねても上手く理由を付けられてしまうのだろうと思い、それ以上問うのを止めた。
サンジ君は甘やかすのが上手だ。甘えるふりをして沢山甘えさせてくれる。
こんな風に見張りに付き合ってくれるのも、もう何度目だろう。

そう言えば近頃はあの嵐のような褒め言葉も止んだ。
初めの頃はロビンやナミと同じように私にも沢山の言葉を降り注いでくれたけれど
そういったものに慣れない私はひたすらおろおろと困ってしまうだけで、とても申し訳ない気持ちになった。
二人のようにスマートにそれを受取れない自分がサンジ君の気持ちに応えられていないのではないかと。
でもサンジ君は別段それに気分を害した様子も見せず、そしていつしかとても穏やかに接してくれるようになった。
優しい言葉をくれなくなった訳じゃなくて、私が受取れる分だけ注いでくれる。
サンジ君はそういう気遣いがとても上手だ。
優しさを、喜びを、惜しげもなく、けれど私が困らないようにゆっくりと、そっと与えてくれる。
見返りを求めない愛情というものに初めて触れた気がした。

コックさんの仕事は素人目に見てもとても楽そうなものではなく
それでも彼は食べる人の喜ぶ顔を見られればそれだけで幸せだというように自分の腕を揮う。
女性は大切に扱わなければならないと騎士道を貫く彼は
なんの損得勘定もなしに女性というだけでどこまでもその優しさを与えてしまう。

サンジ君は“与える人”だ、と思った。そんな人間もいるのだということを初めて知った。
私もそんな人になれるだろうか、なってみたい。そんな風に自分が憧れることは傲慢だろうか。


私の視線に気づいたサンジ君が小首を傾げるようにして柔らかな眼差しで問う。
ゆらゆらと揺れる紫煙が目に留まって、私はそれまで考えていたことと全く違う言葉を口にした。

「タバコ・・・」
「煙草?」
「苦手だったの」

言えば慌てたように火を消そうとするから今は平気だよと首を振ってそれを制した。

「匂いとか煙とかがね、あんまり好きじゃなかったんだけど、今は好き」
「好き?」
「うん。サンジ君がタバコ吸ってる姿も好きだし、タバコの匂いも好き。
 この匂いがするとサンジ君が近くにいるんだなって分かるし、どこかでふっと香った時とかサンジ君を思い出すから」

私の言葉にくるりとした眉を少し高くして、身動きしないままサンジ君は私を見返していた。
ああ、でもタバコが全部好きっていうのはちょっと違うかもしれないと思って言い直す。

「もしかしたら今でも他の人が吸っているやつは苦手と思うかもしれない。でも、この香りは好き。サンジ君の香りだから」

最後まで聞くとサンジ君はじっと合わさっていた視線をおもむろに外して正面を向いた。
こちら側からは長い前髪に隠れて表情が見えないけれど、ちらりと覗く口元がいつもより固い気がする。
もしかして気分を害してしまっただろうか。そう心配になったけれど。
さらりと揺れた髪の隙間から覗いた彼の耳がランプの明かりで赤く染まっているのが見えたから。

「サンジ君、もしかして照れてるの?」

尋ねるとサンジ君は立てた膝にのせた腕で頭を抱えるようにして唸った。

「そりゃ・・・正面きって好きとか言われたら、照れる」
「言っちゃダメだった?」
「いや、ダメじゃねェんだけど・・・むしろすんげェ嬉しいんだけどね」

首の後ろを掻くようにしながら口元を歪めるサンジ君は困ったように眉尻を下げていて
恐らく気分を悪くさせてはいないのだろうけれど、こういう時ちゃんと気持ちを汲めない自分をもどかしく思う。
何かまずかったのだろうかと考えているとサンジ君が唐突にあ!と短く叫んで頭を起こした。

「でも他のヤローにはそんな風にてらいなく好きとか言っちゃダメだよ?」
「どうして?」
「そいつが勘違いしちまうからさ」
「かんちがい・・・」

何を、勘違いするんだろう。
好きって言葉は好きな人にしか言わないし、その言葉で伝わるのは私が相手に好意を持っているということだから
それは勘違いでもなんでもなく事実だと思うのだけれど。
もしかしたらさっきサンジ君が困ったような顔をしたのもその“勘違い”のせい?
でも私がサンジ君を好きなのは勘違いじゃないし。もしかしたら好きってちゃんと伝わっていないのかな?
私はサンジ君も、この船のみんなのことも大好きなんだけどな・・・

頭を悩ませている私の隣でサンジ君は気まずそうに頭をかいてぼそりと零した。

「まぁ、そんなの俺のエゴなんだけどね」
「エゴ?」
「我侭ってこと。ちゃんの“好き”を独り占めしちまいたい俺のワガママ」
「サンジ君のわがまま・・・」

それは、なんだか嬉しいかもしれない・・・と呟くときょとりとしたサンジ君の隻眼が私を見返した。
だってわがままって自分の感情や欲を露わにするってことでしょう?何かを欲したり求めたり。だとしたら。

「サンジ君にわがまま言われるの、私嬉しい」

与えるばかりのサンジ君が何かを欲しがるのがなんだか嬉しい。
それが自分に向けられるものなら尚更に。
私の言葉にしばし呆けていたサンジ君がやがて破顔した。

ちゃんて俺のこと喜ばす天才かもしんねェ」

その言葉に含まれている意味全ては察し得ないけれど、それでも嬉しがってくれていることに間違いはない。
それに安堵して私も顔を綻ばせた。





夜の海は真っ黒で何もかも飲み込んでしまいそうに見える。
それでも、こうして隣に心を許せる人がいてくれるだけで怖くなくなるから不思議だ。

この船に乗って、みんなに出会って、それを知った。

みんなに出会うまで私は一人ぼっちだった。
自分は必要のない、いらない人間なのだと思っていた。
でも今は生きていていいんだと思える。

自分の存在を認めてもらえる喜びも、みんなで食べるご飯の美味しさも、同じ感情を分かち合ってくれる人がいる幸せも
全部全部この船で知った。
仲間がいるというだけで、こんなに世界は優しく見えるものなんだと知った。

真っ暗闇を彷徨う船が見つけた灯台の明かりのように、この船のみんなは私にとって救いだった。



「・・・ちゃん。お言葉に甘えて我侭を言っちまってもいいかい?」

黒い波間に想いを馳せているとふいにサンジ君がそう問いかけてきた。
こくんと頷くとポケットに入れていた手をこちらに差し出す。

「手を、繋いでもいいかな?」

思いもよらない言葉に少し驚いて。
でも照れくさそうに微笑むサンジ君が嬉しくて。
私も頬を緩めながらその手にそっと自分のそれを重ねた。

多分目を丸くしたのは二人同時で。
「大っきい」と思わず口にしてしまった私の声と「小せェ」と呟いたサンジ君の声は見事に重なって。
それに二人で顔を見合わせて同時に噴出してしまった。
くすくすと笑い合う時間はとても心地良い。
大きくて思ったよりごつごつとした、けれど温かいサンジ君の手に包まれているのと同じくらいに。

こうして人の温もりの心地よさを知ったのもこの船に乗ってからだ。
こんな風に温もりを分かち合える人に私はまた出会えるだろうか。
沸き起こった不安が胸を巣食う。

私が目指す道はみんなの行く先と違うから、そんなに遠くない未来にこの船を下りなければならない。


ふいにぎゅっとサンジ君の手に力がこもった。
まるで、一人じゃないと言ってくれているかのように。
それだけで、闇を恐れる気持ちが凪いでいく。

その温もりが、力強さが、私がここにいることを肯定してくれる。


大丈夫。そう自分の心に言い聞かせる。私はもう迷わない。
この船で沢山の優しさをもらったから。希望を、夢を教えてもらったから。
それがきっと私の行く道を照らし続けてくれる。


白み始めた東の空から目に痛いほどの光が差す。
それに少し目を閉じて、伝わる温もりを一心に感じた。
覚えていよう、この温かさを。この先どんなことがあっても乗り越えていけるように。
大事なものを見失わないように。












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 それこそが永久指針。