−ラブストーリーの作り方−
ベランダにシートを敷き、ブランケットとワインとつまみを持ち込んでそこに腰を下ろす。
ベランダと言っても一畳程の狭いものではあるけど。
天気の良い夜そこで一人月見酒をするのがここ最近の楽しみだ。
カリッと焼いたパンにアンチョビとパプリカをのせたブルスケッタからは香ばしい香りが漂う。
我ながらなかなかの出来栄えだと顔を綻ばせながらワイン片手に月を見上げた。
今夜は美しい満月が見られるはず。
・・・だったのに。期待していたものは目に映らず、代わりに視界に飛び込んできたのは想定外のもの。
何かが月の光を遮って影を作り。タン、と質量のわりに軽い音が闇夜に響く。
びくっと体を竦めた私は理解しがたい状況に硬直した。
音の主はベランダの淵に降り立った一人の男。
人・・・!?男!?なんでこんなところに!?強、盗・・・?
恐怖で身動きひとつ出来ない私の前で、その男もまた驚いた表情をしている。
えらく鼻の長い長身の男。
逃げたらいいのか悲鳴をあげたらいいのかと逡巡するものの何一つ行動に移せずに男を凝視する。
互いに膠着状態の中、先に口を開いたのはその男の方だった。
「驚かせてしまってすまんのう。まさか人がいるとは思っておらんかったんじゃ」
・・・それはこっちのセリフじゃない?
ここはマンションの高層階のベランダ。しかも最上階ではないから屋上から降りてくるという訳にもいかない。
そんな場所に唐突に人間が現れることなど誰が予想出来ようか。
正体不明の男に警戒心剥き出しで青ざめているとそいつは慌てながら怪しい者ではないぞと顔の前で手を振って見せた。
夜中に見ず知らずの他人のベランダに唐突に降ってきた人間が怪しくなくて誰が怪しいというのか。
思い切り顔を引き攣らせながら睨み上げる私に困ったように男は頭を掻く。
「ワシはガレーラの職長をしておる者なんじゃが・・・知らんかのう?」
ガレーラ。この街でその名を知らないものはいない。しかも職長?
言われてふっと思い出す。角ばった長い鼻。空を自在に駆ける職長。もしかして・・・
「山風・・・?」
「おおっ!そうじゃそうじゃ!」
途端に顔を綻ばせた男の表情はひどくあどけなく、それだけで警戒を緩めてしまうようなものだった。
不用意だと思われるかもしれないがそれはガレーラという会社のネームバリューによる所が大きい。
その後ろ盾があるだけでこの街に住む者なら大抵は信用の足る人物のように受け入れてしまうだろう。
まして「山風」という市民の人気者ならば、滅多なことはしないだろうという意識が私の警戒心を薄らがせた。
噂の跳躍力ならばこんな高層階に現れたことも不思議ではないのだし。
「でも、どうしてこんな所に?」
「それがのう、月が綺麗じゃったからたまにはいつもと違うルートで帰ろうと思ったんじゃが
うっかり足を滑らせて想定外の場所に着地してしまったんじゃよ。
すぐに立ち去るつもりじゃったんじゃが、まさか中に人が座り込んでると思わんかったからの、驚いてしもうて」
わはは、うっかりじゃ。なんて眉尻を下げて笑う様にようやくこちらも表情を和らげる。
とりあえず悪意があってのことではないようだし、泥棒や変質者でもなさそうだ。
しかし得な人だなと思う。この笑顔で謝れば大抵の人は許してしまうだろう。
表情が乏しい私にとってはなかなか羨ましい人種だ。
変に感心しながら見上げていると彼は胸を撫で下ろしてみせた。
「誤解が解けたようで良かったわい。山風が女子の家に不法侵入なんて噂を立てられてはかなわんからのう」
「こちらも泥棒じゃなかったと分かってほっとしたわ」
「しかしお前さんはベランダで何しとるんじゃ?夜にピクニックか?」
そこをツッコまれると少々痛い。いい年した女が一人月見酒してましただなんて寂しいヤツだと思われそうで。
けれど答えに詰まる私をそのまん丸の目がきょろりと真っ直ぐに問いかけてくるから、私はしぶしぶ白状した。
「月が綺麗だったからね。ベランダで飲もうかなって」
「ああそうじゃったのか。確かに今日の月は綺麗じゃからのう」
思っていたよりするりと受け流してくれたことにほっとする。
月を見上げる彼の横顔を改めて眺め、パーツは特徴的だがなかなか整った顔立ちだと感じた。
ふいに今の時間帯を思い出してその横顔に問いかける。
「こんな時間までお仕事?」
「ん?ああ、納入直前でちょっと立て込んでおってのう。今日はちょっと遅くなってしもうたんじゃ。お陰で腹が減ったわい」
「大変ね・・・あ、良ければおひとついかが?」
「あーいやいや、違うんじゃよ催促した訳じゃなくてじゃな・・・」
言いながら彼のお腹がぐうーっと鳴った。タイミングの良さに思わず笑う。
部屋からの漏れる明かりでその頬が赤く染まったのが見えた。案外可愛らしい人のようだ。
皿を差し出して促すとうっ、と詰まって逡巡してみせる。
「や、しかしそんな図々しい真似・・・・・・いいのかの?」
香ばしい香りにコロリと態度を変えた彼にくすくす笑いながらどうぞと勧める。
皿に並ぶブルスケッタの一つを手にとると大きな口を開けて一口で食べてしまった。
サクサクと良い音がし、やがて目を見開いた彼が表情を高揚させる。
「ウマイッ!何じゃこれは!?お前さんが作ったのか?」
「ええ、そんな大したものじゃないけどね」
「いやいや大したものじゃよ。大したものじゃから、その・・・」
言葉を濁してこちらを伺いながら皿の上で手を迷わせる彼に吹き出してしまう。
「どうぞ、お好きなだけ」
言えばぱあっと顔を輝かせていそいそとまたひとつ口に放り込んだ。
手すりの上に皿を置いて私もそのうちのひとつを手に取る。
さくりと歯を立てればアンチョビの程よい塩気とパプリカの甘さが口内に広がった。
美味しい。味見した時よりずっと。
それは隣で顔を綻ばせて美味しい美味しいと食べてくれる彼がいるからかもしれない。
「いや〜良い場所に着地したわい」
屈託無くそう言う彼にこちらもつい破顔する。
皿の上のものをあっという間に片付けた彼は指を舐めながら小首を傾げて私を見た。
「お前さんいつもこうやってベランダで飲んでおるのか?」
「いつもって訳じゃないけど・・・天気が良い日とか、気が向いた時はね」
私の返事にふむ、と腕組をして何やら思案顔の彼を手すりに凭れながら見上げる。
再びこちらに振り向いたかと思うと今度はじーっと私を見つめるから一体何なのかと身構えた。
何?と尋ねようと口を開いた瞬間
「また来てもいいかの?」
思わぬセリフに面食らって口を閉めそびれた。
夜更けに良く知りもしない男を家(とは言ってもベランダだけど)に上げるのはいかがなものか。
そんなモラルが頭を過ぎったけれど。
長い睫に縁取られたまん丸の目をぱちぱちさせてコトンと首を傾げられると妙な愛嬌を感じて。
気づけば私は首肯していた。
それに嬉しそうな笑みを見せ、彼は腰を下ろしていた手すりの上に立ち上がった。
「それじゃあまたの・・・あーっと・・・」
「、よ」
「そうか。またの、」
笑って手を振ると手すりを蹴って彼は高々と夜空に舞い上がった。
その身軽さを呆気に取られながら見送る。
家々の屋根を飛んでいき、あっという間に彼の姿は見えなくなった。
彼が消えていった暗闇をしばし呆けて眺める。
人当たりのいい雰囲気。人懐こい性格。屈託ない笑顔。
そんな印象を残していくかと思ったのに。
彼が最後に一瞬だけ垣間見せた表情がいやに鮮明に焼きついていた。
キャップの影から覗いた闇を見据える眼差し。
それは無常を達観しどこか横着しているような、けれど鋭さを併せ持つ。
その奥に何かを隠しているような、隙の無い表情。
それに中てられて私の肌はゾクリと粟立っていた。
こんな僅かな時間に色んな表情をみせられて。
私はひどく好奇心をそそられた。
けれどよく考えてみれば相手はあの人気者の職長だ。
そんな人が本当にまたこんな所に来るのだろうか。
ひどく現実味のない話だ。
そもそも出会い方からして現実味が無さ過ぎるのだけれど・・・
社交辞令の一種かな、と私はあまり思い入れないようにしようと決めた。
ところが彼は本当に来たのだ。
それからさほど日も明けずに、飄々とあの屈託無い笑みを見せて。
また私のつまみを摘まんで、ウマイと笑って。
内心驚きながら、それでも私はそれをあまり違和感なく受け入れていた。
以来、何の約束もしていなくても私がベランダにでる時、大抵彼はやって来た。
それが数度続くうちにいつしか私は彼の分もコップを出すようになり。
世間話をしながら酒の肴を摘み、酒を酌み交わすのが恒例のようになっていった。
なんだか私は野良猫を餌付けしてしまったような気分になったが
不思議なほど彼と過ごす時間は私の生活にすんなりと馴染んだのだった。
今日もいつも通り現れた彼はいつも通り皿を平らげた後、何かにはっと気づいたように私を見た。
「いつもワシ食わせてもらってばかりじゃな。スマン、食費がかかることなどすっかり忘れておったわい」
「大丈夫よ、私だってちゃんと稼いでるんだし」
「そういえばお前さん、仕事は何をしておるんじゃ?」
もう会った回数はとうに二桁を超えたのに、改めて互いの素性に触れたことはあまりなかった。
仕事を聞かれた私はいつもそうなるように一瞬口ごもり、そして言った。
「一応物を書く仕事をね」
「物書き・・・小説家か?」
「ええまあ、しがないね」
「それはすごいのう」
すごいだなんて手放しで褒められると反応に困ってしまう。
物書きといったってピンきりだ。ただ単に文章を書くだけなら誰にだって出来るのだし、物書きと名乗ることもしかりだ。
作品を読んで褒めてもらえるならばもう少し喜びようもあるが、物書きだと聞いただけで感心されると戸惑う。
「別にすごくなんてないよ」
「じゃってそれで生計を立てられる程なんじゃろう?十分すごいと思うがの」
さらりと言われて恐縮する。
そりゃ食うに困らない程度には貰っているが、自分の文才は大して誇れるほどのものではない。
話題を逸らそうとして、ふっと思い立つ。実は彼に会って以来ずっと考えていたことがあったのだ。
どうせ話しに上がったついで。ダメもとで・・・
「ねえ、今度カクをモデルに小説を書いても良いかしら?」
「ワシをか?」
丸い目をきょとんとさせてカクが自分を指差した。
それに首肯する。
だって脅威の身体能力で空を駆ける船大工なんて。
キャラクターとして申し分ないでしょう?
まじまじと私を見ていたカクがベランダの縁に腰掛けたまま僅かに身を乗り出すようにした。
「どんな話じゃ?」
「ええと、そうね」
明確な構想を練っていた訳ではなかったので少し考える。
何が良いだろうか。アクション、ファンタジー、ああミステリーも面白いかもしれない。
思い巡らす私にカクがさらに問いかける。
「それにはお前さんは出るのか?」
「私?」
唐突な質問に面食らって、今度は私が自分を指差す番。
「いや、自分をモデルに書いたことはないけど・・・」
「なんじゃ出んのか?お前さんが出んならワシも出演拒否じゃ」
こーしょーけつれつじゃー、と間延びした声を上げるカク。
大して飲んでないのにもう酔っているのだろうか・・・?
つーん、とそっぽを向いてしまったカクに困惑しながら問う。
「それで一体どんな話を書けっていうの?」
自分を物語の中に登場させるなんて想像がつかず困り果てる私に
カクはにんまりと最上級の笑みを見せた。
「そんなの決まっておるじゃろうが」
人差し指を立てて得意顔でカクは言い放つ。
「ラブストーリーじゃっ!」
満面の笑みで言われたセリフに飲みかけていたビールを吹き出しそうになった私は
なんとか堪えたものの変な器官に入ってしまったらしく思い切り咽た。
そんな私に構わずご機嫌な様子でカクは話を続ける。
「ベランダで男と女が密会じゃなんてロミオとジュリエットみたいでロマンチックじゃろう?」
いけしゃあしゃあと言ってのけるカクを未だごほごほと咽ながら涙目のまま信じられない気持ちで見上げる。
冗談は止して欲しい。
ベランダにずかずか上がり込んで縁にあぐらかいてるロミオなんて聞いたことがないし、
ビールを飲みそこなってむせているジュリエットじゃ格好がつかない。
けれど本人は大真面目らしく。
そうでなかったら出んからの、と言い張られてしまった。
「恋愛小説は専門じゃないんだけど・・・」
「この機会に書いてみたらよかろう」
随分と軽く言ってくれる。
というかこの男は何考えてるのか。
困惑しながら悩んでいると、カクが立ち上がってそろそろ帰るかのうと呟きながらきゅっとキャップを被りなおした。
「あ、そう・・・」
歯切れ悪い私をカクはにんまりと意地悪な笑顔で見下ろす。
「甘いラブストーリーのネタ提供なら協力してやっても構わんぞ」
じゃあまたの。そういい残してあっという間にカクは闇夜に消えた。
それをぽかんと見送る。
じわじわと熱を持つ頬にぬるいビール缶を当てて覚ましながら。
強盗のように現れた大工職長としがない女小説家の恋の話?
・・・なかなか面白いことになるかもしれない。
それが小説のことなのか現実のことなのかは自分自身でもよく分かっていなかった。
しかし・・・と私はひっそり笑う。
事実は小説よりも奇なり。先人は上手いことを言ったものだ。
くつくつと笑いながら私は部屋の中へと戻り扉を閉めた。
カクがどんな“ネタ提供”をしてくれるつもりかは知らないが、どうせならうんと甘いラブストーリーを希望したい。
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シリーズ化したいやも・・・