Humpty Dumpty sat on a wall (ハンプティ・ダンプティ塀の上)
Humpty Dumpty had a great fall (ハンプティ・ダンプティおっこちた)
All the King's horses (王様の馬でも)
and all the King's men  (兵隊みんなでも)
Couldn't put Humpty Dumpty together again. (ハンプティ・ダンプティは戻せない)




 −Humpty Dumpty−



ドックを囲う壁に腰を掛けて足をぶらぶらと揺らす。
眼下に広がる水上都市を眺めながら、やっぱりこの町が好きだと思う。
美食の町であるプッチに住んでいるといえば羨ましがられたりもするが
私にはこうして水の都を眺望する事の方がよっぽど贅沢に思える。
そんなことを言えばまた金持ちの道楽だとか思われるのかもしれないけれど。

「お前さんはまたこんな所におるのか」

突然かけられた声。けれどさして驚くこともない。
こんな高い所に易々と上ってくる人間は彼くらいのもの。
そしてそいつが気配も無く突然現れるのもいつものことだ。

ゆっくりと視線だけでそちらを見遣ればあまり幅が広いとは言えない壁の上をすたすたと歩いてくる。
後方でがっしゃんがっしゃんやってるドックの職長の一人。

「そんな場所におって怖くないのか?」

宙に投げ出された足の下は目が眩むほどの高さで。
足が竦まないわけではないけれど。
それでも不思議と怖いとは思わない。
以前高所恐怖症の友人に理解できないといった顔で、生への執着が薄いんじゃのかと言われた。
別にそんなつもりはなかったけれど否定もしなかった。

「高いところが好きなの」
「馬鹿となんとかは高いところが好きじゃと言うが本当じゃのう」

こんな憎まれ口を叩くのもいつものこと。
特に怒りを感じるでもなく、代わりに湧き上がったのは疑問だった。

「それって馬鹿と何だっけ?」
「うむ。やっぱり馬鹿じゃ」

今度は少しイラっとした。っていうか本当は自分だって知らないんじゃないの?と訝しげな視線で見上げれば
何故だかこちらをじろじろと見てなにやら思案顔。

「・・・何?」
「お前さん卵みたいじゃな」

話の展開が突飛過ぎる。意味が分からないという感情を露わに見返したけれど
そうじゃそうじゃと何やら勝手に自己完結し始めているから、自分でその意味を考えてみる。

「卵みたいにつるりとした肌だって?」
「阿呆、違うわい。ほら、そんなヤツがおったじゃろう。塀の上でぶらぶら足を垂らして座っとる卵」

言われて脳裏にアリスの本にあったハンプティ・ダンプティの挿絵を思い出した。
同時に思い切り不愉快になる。

「それはハンプティ・ダンプティが“ずんぐりむっくり”って訳されるのを知ってて言ってるのかしら?」
「そうじゃったか?それは知らんかった」

しらじらしい驚き顔に嘘付けと胸中で毒吐く。
マザーグースの童謡に出てくるなぞなぞ。
その答えである卵の絵が有名になってしまったからもうなぞなぞになってやしないけど。
ようは塀から落ちて元に戻せないのはなんでかという歌。
卵だからこなごなになってしまって元通りには出来ないのだ。
そんな不吉なもんに例えられて嬉しいはずがない。
不機嫌な顔を見せればにやにやとムカつく笑みを浮かべた。

「・・・そういうあなたは猫みたいね」
「ねこさんか。ワシねこさん好きじゃぞ。そんなにワシは可愛らしいかのう」
「そうじゃなくて、チェシャ猫みたいだって言ってるのよ」

調子付いてる男にそう告げれば今度はそちらが不機嫌顔になった。

「あんな薄気味悪い猫のどこがワシに似てるんじゃ」
「そっくりじゃない。腹黒そうな笑い方とか、性格悪そうなとことか」
「失礼なヤツじゃのう」
「ああごめんなさい、訂正するわ。カク職長はアリスじゃなくてピノキオだったわね」
どんだけ嘘付けばそんなに鼻が伸びるんだかとわざとらしく肩をすくめて見せれば、今度こそその顔に黒い影が差した。
恐らくこれまで聞き飽きるほど言われてきたであろう嫌味は彼の神経を逆なでするには十分で
無言のまま近づくと私の両頬を抓って引っ張った。

「やめてよ黄身が出るじゃない」
「お前さんほんっとに可愛くないのう」
「あ、ほら。ゼペット爺さんが呼んでるよピノッキオ」

頬をぎゅうっと抓ったまま私が指差した方に視線を向ける。
指の先には美人秘書を引き連れた青髪の男性がこちらに手を振っていた。

「市長を爺さん呼ばわりするとは良い度胸じゃ。チクってやったらどうなるじゃろうなぁ」
「信じるわけないじゃない。私溺愛されてるもの」

親戚である私をアイスバーグさんが大層可愛がってくれているからこそ
私はウォーターセブンにしょっちゅう入り浸っては職人しか入れないドックの中でうろつくことを黙認されている。
それを分かっているカクは溜息を吐いてお前さんの猫かぶりっぷりは主演女優賞ものじゃと零した。
私の地を知っている人間は少ない。そしてこの人はそのうちの一人だ。
いつからだったっけ。カクの前でいい子のふりをやめたのは。
何故だかこの人の前じゃ意味がない、と直感的に悟ったのだ。
もしかしたら同じにおいがしたのかもしれない。
・・・いやこの人ほど黒くはないけど。

やれやれとようやく頬から離した手を上げてアイスバーグさんの方に今行くと合図を送る。
そしてトレードマークの白いキャップをきゅっと被りなおした。


ただそれだけ。


それだけのことなのに。
背筋がぞくりと震えた。

ドックの方へ向ける視線に冷たいものが垣間見えた気がして。
多分傍から見ればなんてことのない無表情。
きっと以前なら気づかずに見過ごした。

ふいにカクがこちらに振り向く。
不思議そうな視線を向けられて戸惑いを感じるが、見ればいつのまにか私の手は彼の服を掴んでいた。
無意識に彼を引きとめようとしていた自分に驚く。

「どうしたんじゃ?」

どうしたと言われてもそれに返す答えなど持ち合わせていない私は窮する。
どくんどくんと早くなる鼓動を感じながら頭をフル回転させると、ふいにあることに思い至った。

「煙っ・・・さっきの答え煙だよ。思い出した」

一瞬きょとんとしたカクだったが、ああ、と納得したように頷いた。

「馬鹿と煙は高いところが好き、か。そうじゃそうじゃ」

すっきりした顔で頷く彼を見て、上手く誤魔化せたと安堵しつつも表に出さないようにわざと憎まれ口で繕う。

「そうじゃそうじゃって、結局自分だって忘れてたんじゃない。まぁ結局カクも高い所が好きな馬鹿ってことよね」
「五月蝿いのう。ワシは煙のほうじゃ」
馬鹿はお前さんに譲るわい、なんてまた憎たらしい顔で笑うカク。
ただの冗談。ただの言葉遊び。分かってる。分かってるのにその言葉に不安になる。
バカ、動揺しちゃダメだ。そう思ってるのに私の手は一層彼の腕を強く掴む。
いつものように軽く受け流すことをしない私をいよいよ彼は怪訝そうに見た。

「・・・どうしたんじゃ?」

私は本当に馬鹿だ。
彼が煙のように消えていってしまうことが怖くて仕方ないなんて。
お願いだから煙みたいに突然消えたりしないで、なんて・・・言えるはずもないのに。
ゆっくりと手を離して尚も私を訝しがるような視線を真っ直ぐ見つめ返す。

「私、高いところが好きなの」
「・・・それはさっきも聞いたが。なんなんじゃお前さん。なんか変じゃぞ。一体どうし・・・」
「だって、高い所にいるとカクに会えるから」

問いかけを無視してそう告げればカクはその丸い目を大きく見開いた。

しばし惚けたように向けられる視線を黙って受け止める。
こんな風に隙だらけの彼は大層珍しいけど、それをからかうだけの余裕はこちらにもない。
やがて彼は惚けたままの状態で口を開いた。

「・・・前言撤回するわい」
「何を?」

問えば彼はまた深々とそのキャップを被り直しドックの方へと向き直ると
お前さんを可愛くないと言ったことじゃ、と呟くように零して塀から飛び降りていった。

あっという間に消えていく後姿を見送ると私はまた腰を下ろして足を投げ出した。
ぶらぶらと足を揺らしながらこれからどうしたらいいのだろうかと視線を宙に彷徨わせる。



聞いてしまったのは数日前。
何の気なしに町を歩いていて通りかかったのはドックの職長達が頻繁に出入りするバー。
まだ営業時間には早いその店に彼が裏口から入っていくのを偶然見つけて。
こっそりと覗いてしまったのはちょっとした悪戯心。
けれど偶然耳にした会話は私が聞いていいものじゃなかった。
なんの話かは分からない。
分かったのは、彼が船大工じゃないということと、アイスバーグさんが危ないのだということ。


どうすれば、良いんだろう。
宙に投げ出した足を見つめればくらりと眩暈がした。
あの話を聞いてしまったことがばれればきっと私は殺される。
けれど知らせなければお世話になっているアイスバーグさんが危ない目にあう。
でも私なんかの力でどうにかできることじゃない気もする。


・・・ううん。
私が恐れているのはそんなことじゃない。
私が怖いのは私自身だ。


・・・なんで、なんで好きだと自覚してしまったんだろう。
よりにもよって本当の彼を知った後に。
なんで願ってしまうんだろう。
どうせ殺されるなら彼の手で殺めて欲しいなどと。

アイスバーグさんが殺されてしまうかもしれないことよりも
彼がいつの間にかいなくなってしまうかもしれないことのほうが怖いだなんて。
私はいつからこんなに酷い人間になってしまったんだろう。


ずるりと体を前にのめらせて重力に体を逆らわせないように力を抜く。
いっそのこと落ちてしまった方が楽な気がして、ふいに笑いが込み上げる。

これじゃあ本当にハンプティ・ダンプティだ。

顔を手で覆ってくつくつと喉の奥で笑いながら鼻の奥がつんとするのを感じる。
笑い声は徐々に嗚咽に摩り替わる。

「ははっ、なんでチェシャ猫なんて言っちゃったのかな・・・」

しゃくりあげながら自嘲気味に呟く自分は滑稽極まりない。
チェシャ猫も煙も、どっちにしたっていつのまにか勝手に消えてしまうもの。
なんだってそんなものに例えてしまったんだろう。
洒落にならないじゃないか。


あんな話聞きたくなかった。
でももう聞かなかったことには出来ない。
もう元には戻れない。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 だけど信じてるの。照れたように笑ったあなたも本物だって。