合ひの空−



見上げた空には上弦の月。
ネコの爪のように細いそれは思いのほか明るく、耿々と夏の夜空を照らしていた。


「今日は月明かりが明るいねー」
「ん?ああ、昨日ワシが電球取り替えておいたからのう」


右上から返ってきた言葉に「・・・はい?」と一拍遅れで聞き返せば
私より随分高い位置にあるその顔は飄々としていた。
真顔で冗談言うの止めてくれないかしらとツッコもうかと思ったが
W7を自在に駆け回るカクがそれを言うとなんだか本当にありそうな気がして笑ってしまった。
カクもつられたようにようやく相好を崩す。


今日は七夕。
一応恋愛がらみのイベントと言っていい日かもしれないけれど、だからと言って特別なことをする訳でもなく。
今だってただ一緒に会社からの帰路を歩いているだけだ。
一緒に帰ろうと約束していた訳でもない。本当にたまたま。

だけど、偶然でもなんでも今日こうしていられることがなんとなく嬉しかった。
月明かりが明るすぎるせいで天の川があまりよく見えないのは少々残念だけれど
蒸し暑かった日中に比べて夜風は涼しく、さらさらと道脇を流れる水流の音まで耳に心地いい。
そんな気持ちのいい夜道を惜しむかのようにゆっくりゆっくり歩みを進める。
嫌味な程長い脚を持つカクとは比べるまでもなく歩幅が違いすぎるのだけれど。
私に合わせて歩くせいで長い脚を持て余しているような雰囲気が、妙に嬉しかった。


「のう、なぜ織姫と彦星は年に一度しか会えなくなったんじゃ?」
「えーと、恋に現を抜かして仕事ほっぽっていちゃいちゃしてたから引き離されちゃったんじゃないっけ?」
「なーんじゃ、自業自得か。甲斐性の無い男じゃのう」


身も蓋も無いような会話をしながら二人して空を見上げる。


「どれが織姫でどれが彦星か分からんのう」
「えっとね・・・あれがベガであれがアルタイルだよ」


頭上に一際明るい光を放つ三点の星を探してうち二つを指差す。
私の指先を目で追ってカクがそれを見つけた。


「なーんじゃ、たったこれっぽっちの距離か。つくづく使えん男じゃのう。ワシならひとっ跳びじゃ」


右手の親指と人差し指で“これっぽっち”と測るように二つの星を指しながらそんなことを言うカクをまたも呆けながら見上げる。
これっぽっちの距離って・・・あれどんくらいの距離だっけ?何光年?

思わず口を閉め忘れてしまった私を見下ろして「のう?」と同意を求めてくるカクはまたも何でも無いような顔をしている。
やっぱり私は笑ってしまった。
だってカクなら例え何十光年でも本当にひとっ跳びで飛んでしまいそうな気がして。
そんなことを半ば本気で思ってしまう自分が可笑しかった。

「じゃあカクならどんなに遠くに行ってもすぐに会いに来てくれるって訳ね」
「まあワシ甲斐性のある男じゃしの」

顎に手を掛けて格好付けながらわざとキリっとした顔を作ってみせるカクにけらけら笑う。
笑いすぎじゃと小突かれたけどそういうカクも笑っていた。


虫の鳴き声が水流の音に混じって聞こえてくる。
チリン、と聞こえた涼しげな音はどこかの家の風鈴だろうか。
それはとても穏やかな夜。



ただの軽口だなんて分かっていたけど、それでも私は一人ひどく安心していたんだ。
カクは何故だか時々ふっと消えてしまいそうだと思う時があったから。
他愛無い会話を交わしている時ですらも急に不安に駆られる瞬間があったから。

だから嬉しかった。どんなに離れてもすぐに会いに来てくれるって言ってくれたことが。
もし離れ離れになってしまっても、すぐに会えるのだと。
例え嘘でも冗談でも、その言葉は私の心の拠り所になった。

あの屈託のない笑顔と共に。















うっかりつんのめってしまいそうになって、私は現実に引き戻された。
ひやりとしながら体勢を立て直してため息をつく。
またやってしまった。何にも無い所で転ぶのが特技と言って良いほど最近の自分はよく転ぶ。
そんな自分を戒めながらも、視線はまた性懲りもなく空を向いてしまう。

カクがいなくなってから気づけば空を見上げるのが癖になっていた。
また転ぶと分かっているのに妙に未練がましく見上げてしまうのは、今日が七夕だからだろうか。


あれから一年。
どうやら私の彼は15光年よりも遠い場所へ行ってしまったらしい。
会えなくなってもうどれほどの時間が過ぎただろう。


カクがいなくなった時、ショックとか悲しいとかよりも先に、やっぱり、と思う自分がいた。
知らず知らずのうちにどこかでこうなることを覚悟していたのかもしれない。
腑抜けてしまったけれど、泣くことはなかった。
多分まだ本当の意味で受け入れ切れていないのだ。
またひょっこり現れて何事も無かったかのように笑うカクに会える気がしてならない。
だって言ってたもの。どんなに離れもひとっ跳びって。

そんな子供染みた言い訳を自分にしながら気づけば随分長い月日が過ぎてしまった。


今年は月明かりが控えめで随分綺麗に天の川が見える。
こんなに良い天気ならきっと織姫と彦星も会えたことだろう。

・・・だったら私の願いも叶えてよ。
私の願いはたった一つ。天空の恋人同士が会える日だもの。私だって、会いたいよ。

空を見上げながらそんな駄々をこねていると星空が涙で滲んだ。




不意に滲んだ闇にオレンジ色が横切って。




思考回路が追いつく前にそれは空から私の前に降ってきた。
呆然と立ちすくむ私の視界に滲んだオレンジ色。
視覚よりも先に聴覚がはっきりとそれを捉えた。


「・・・まったくお前さんときたら、危なっかしくて見てられんわい」


ずっとずっと求めていたその声。
ぼやけて表情は見えなくとも、その声色だけでどんな顔をしているか分かった。
切なげに眉を寄せながら困ったように笑うその顔が。

カク?本当に本当にカクなの?

言いたいことは山ほどあったはずなのに私の口からは一言も出てきやしない。
胸がいっぱいでもう何が何だか。
ちゃんと顔が見たいのに、思いに反して視界は滲むばかりで。
もどかしくて堪らない。

声も無く涙を流す私を見かねてカクが引き寄せた。
懐かしい体温。懐かしい匂い。カクの匂い。
ああ本当にカクなんだ。
ようやく実感が湧いていよいよ涙腺が崩壊した。
しがみついてしゃくり上げる私を宥めるようにカクが頭を撫ぜる。
ぎゅうと抱きしめられた腕の力が痛いくらいで、でももっと抱きしめて欲しくて。
僅かな隙間すらももどかしくて。
愛しくて嬉しくて堪らない。


どれだけそうしていたのか。
ようやく呼吸が落ち着いてきた私の背をぽんぽんと宥めるようにカクが叩いていた。
それがくすぐったくて小さく笑うとカクが私を覗き込んだ。
泣きすぎた顔を見られるのは恥ずかしいけれど、ちゃんと顔が見たくて私も顔を上げる。


「・・・15光年離れてたってひとっ飛びで会いに来てくれるんじゃなかったの」


ぐずぐず鼻を鳴らしながら可愛げのない恨み言を零すと、カクがくしゃりと顔を崩してスマンと苦笑した。


「15光年より遠い場所におったんじゃよ」
「どんなところ?」
「・・・夜の無い場所じゃ」
「・・・そっか」


爪先立ちになってその首に腕をまわすとカクの手が腰を支えてくれた。
その胸に顔を埋める。


「そんな場所じゃ、七夕楽しめないもんね」


くぐもった声で言うと少し間をおいてカクがふっと笑った声がした。
そうじゃのう、と笑んだ調子の同意に私も口元を綻ばせる。


「・・・七夕だから会いに来たの?」


自分でも思っても見ない弱々しい声が出て、それを誤魔化すように腕に力を込めた。
そんな私をそっと引き剥がしてカクが視線を合わせる。
私の不安などお見通しな様子でカクは微笑した。


「いいや、お前さんを迎えに来たんじゃ」


その言葉にまた視界が滲む。
年に一度しか会えなくなるとでも思ったのか?とからかうように言うカクの胸をグーで叩いた。
笑い事じゃない。七夕に会いに来るからそんなことを考えてしまったって仕方ないじゃない。

「ほら、ワシ甲斐性のある男じゃからの」
「違うよ、カクは堪え性がないのよ」

イーッと睨んでやればカクはけらけらと笑った。
そうかもしれんのう、と言いながら。
私の首元に顔を埋めて。
カクが小さく小さく呟いた。



「もう・・・お前さんと離れておるなんて、堪えられんのじゃよ」



みるみる心に染み込んだその言葉に、また呆気なく涙腺を壊されて。
夏虫に負けないほどその晩私は泣き続けた。

真っ赤に目を腫らせた七夕の夜。
私はきっと誰よりも幸せだった。











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 星合ひの空 : 七夕の夜空