−Free will−
一礼して長官室から出ると重厚でありながら無機質な廊下を真っ直ぐに歩いた。
今しがたのやりとりを思い返して無意識のうちに眉間に皺が寄る。
おかしい、どうして仕事がキャンセルになんて。しかもこんな間際になって。
それに長官のあの態度も気になる。何かに怯えているような。まぁ挙動不審なのはいつものことだけれど。
本当は問い詰めたかったけれど、何も聞くなという無言のプレッシャーを感じてそのまま引き下がってしまった。
もやもやした気分を抱えたまま歩いていると唐突に視界を塞がれた。
驚いて小さく悲鳴を上げた私の後ろから暢気な節を付けた聞きなれた声。
「だ〜れじゃっ?」
・・・“じゃ”って言ってる時点で人物限定されるんだけど。
目を覆うその手を掴んで溜息を吐く。
「・・・ルッチ?」
「・・・お前さん本気でルッチがこんなことすると思っておるのか?」
まさか。ありえなさすぎて想像すら出来ない。
緩んだその手を下ろして振り向くと口をへの字にするカクが立っていた。
「あらカクだったの?」
気づかなかったわと嘯けばそのへの字の山はますます高くなる。
「恋人の手に気づけんとはちと愛が足りんのではないか?」
むうっと膨れる彼にごめんごめんと笑えば面白くなさそうにぶちぶち文句を垂れる。
それを聞き流しながら歩き始めれば彼も隣に並んだ。
「そうじゃ、。仕事キャンセルになったんじゃろう?ワシも珍しく時間があるんじゃよ。
せっかくじゃし一緒に出掛けんか?たまにはエニエス・ロビーの滝を眺めながらピクニックなんてのもなかなか乙・・・」
「なんでカクがキャンセルになったこと知ってるのよ?」
私自身たった今長官から聞いてきたばかりだっていうのに。
問えばふふんと笑ってCP9の情報網をあなどるでないぞと得意げに言う。
けれど一応政府筋の仕事だ。そう簡単に漏れるはずもないのに。
訝しがる私に構わずカクは楽しげに話を進めようとする。
全くどこから仕入れたんだかと呆れながら何気なく呟いた。
「けどなんでいきなりキャンセルになんか・・・」
「気にすることないわい。脂ぎったオッサンを相手するような仕事無くなって良かったじゃろうが。
そんなことよりワシらのこれからの予定の方が大事じゃ!こうして休みが合うこと自体貴重なんじゃから・・・」
「ちょっと待って。なんでカクが仕事の内容まで知ってるの?」
驚いて尋ねてもカクはなんでじゃろーなぁなんて適当な返事をよこすだけでまともに答える気はないらしい。
でもこれはさすがにおかしい。なんでここまでカクが把握して・・・?
もしや、と思い至ってカクを盗み見る。未だカクはにこにこしながら今後の予定を並べている。
そんなカクになんでもない世間話を装い話を振った。
「そうそう、私そろそろ子電伝虫を携帯しようかと思うんだけどカクはどんなのが良いと思う?」
「子電伝虫を?なんでまた?」
「そうすれば離れてもどんな時でもカクと連絡がとりやすいでしょう?」
上目遣いで小首を傾げながら言えばカクはぱあっと顔を輝かせる。
「それはいい考えじゃ!ならワシが贈るわい」
「本当?最近は随分性能の良い子電伝虫が手に入るようになったって聞いたんだけど私そういうの疎くって」
「なーにワシに任せておけ。お前さんにぴったりのを見繕ってやるからの!」
「カクそういうの詳しいの?」
「まぁそうじゃな。軽量で可愛らしいのを選んでやるから楽しみにしておくと良いわい」
「素敵!でもそういうのって雑音が酷かったりしない?」
「近頃は随分クリアで聞き取りやすいものが出回っておるから大丈夫じゃよ」
「黒電伝虫とかも?」
「もちろんじゃ。余程遠方でなければ雑音もあまり気にならないほどのものもあるぞ」
「でもそういうのって高そうね。手に入りにくそうだし」
「まぁその辺はCP9のコネを使えばなんとかなるもんじゃ」
「へえ、さすがねぇ。いつでも情報収集を欠かさないなんてCP9の鏡だわ」
「わははは!当然のことじゃよっ」
「じゃあ私の仕事の盗聴も?」
「お茶の子さいさいじゃ!」
「で、気に入らなくて?」
「長官に掛け合ってキャンセルに・・・・・っ」
軽快に口を滑らせていたカクははっと口を噤んだ。けれどもう後の祭り。
「カ〜ク〜?あなた長官を脅してまで私の仕事を・・・っ!」
「違っ、違うんじゃよ。これはその・・・」
「信じられない、やりすぎだわ」
「じゃってどこの馬の骨ともわからんような男にお前さんを近づける訳にいかんじゃろう!?」
うわ、逆ギレし始めた。
つーんっとそっぽを向いたカクに頭を抱える。
大体いくらコネがあったって、長官室の電話を盗聴できるような黒電伝虫を手に入れるのは容易じゃない。
私の仕事を見張るためにこの人はどれだけの労力を使ったのやら。
もしかしたら結構な額を払っているかもしれない。
そりゃCP9の給料を考えれば大したことはないかもしれないけど、それにしたってこんなことのために・・・。
束縛屋な彼を持つのはつくづく気苦労が絶えないわ・・・。
深々とため息を吐くとカクは面白くなさそうに口を尖らせた。
「大体あんな仕事をワシに黙って引き受けたお前さんにも非があるじゃろうが」
「だって言ったら止めるじゃない」
「当たり前じゃ!あんな仕事ワシの目が黒いうちは絶対にさせんからな!」
なんだか過保護な父親と話してるような気分だわ。
でもこれで全てに合点がいった。長官のあの態度もカクに散々脅されてのことだろう。
全く長官脅すなんてどういう神経して・・・いや日常茶飯事か。
まぁ私の代わりなんて他にいくらでもいるだろうしね。
そもそもサイファーポールでもない私のような人間が現地に赴くのは
CP諜報員達が潜入しやすいよう前段階として情報を仕入れたり準備を整えたりするのが目的だ。
こんな組織に雇われている以上、使えるものは存分に使おうとばかりに利用される。
女の武器というのもまたしかりで、今回の仕事もそれに近かった。
別に好き好んでそんな仕事がしたい訳ではもちろんないが今回だけは特別だった。
この目で確かめたかったのだ。これからカクが長い時間を過ごすことになるかもしれないその場所を。
結局それは当人の手によって見事に打ち砕かれてしまったけれど・・・。
過ぎたことはしょうがないと諦める。こういう切り替えの速さは自分の長所だと思う。
それに引き換え・・・と小言を繰り返すカクを見遣ればその目の下には薄っすらクマが浮かんでいた。
「・・・船大工の訓練、精が出てるみたいね。カクの性に合ってるんじゃない?」
唐突に変えられた話題にこちらを向いて、再び正面に向き直りながらカクは素っ気無い声を出した。
「別にいつもの仕事と変わらんわい」
言いながら視線が左斜め上に一瞬動いたのを認めて口角を上げる。それは図星をさされた証拠。
「私に嘘がつけると思って?」
「・・・まぁたお前さんはワシの瞳孔の動きなんぞを見ておったのか」
ある程度の訓練を積めば相手の心理状況をその動作から読み取ることはそう難しくない。
身体能力がさほど高くなかった分座学に力を入れたせいか、そういったことはカクより私の方が得意としていた。
指摘すればカクは嫌がるけれどこれはもう癖みたいなものだ。
第一隠すことでもないのに隠すあたりが相当気に入っている証拠。
楽しいなら楽しいって言えばいいのに。
くすくすと笑えば面白くなさそうに頭を掻いた。
「長い任務になるかもしれんのじゃよ」
ふいに真面目な声をだして腕を垂らしながらカクが零すように呟く。
「そう・・・良いことかも、しれないわね」
「何がじゃ?」
もしかしたら寂しいとか言われることを期待したのかもしれないけれど、残念ながら私は全く別のことを考えていた。
訝しがるカクに笑みだけ向けて口を噤む。
私はずっとカクを見てきた。
無邪気な幼少期から、初めて人を殺めてそれまでにはなかった陰をその心に落としてきた日、
そしてそれが日常となり心の闇を飼い馴らしていく過程まで、ずっと。
カクは自分は始っからこちら側の人間であるように言うけれど、私はそうは思わない。
カクは本来日の光の下で生きるのが似合う人だ。
船大工の勉強をしている彼に、私は幼き日の面影を見た。それにどうしようもなく胸が詰まったのだ。
これから数年という月日を船大工として生きていくことが彼になんらかの変化を与えるのではないだろうかと、
そこに願いを託したいような、縋りたいような気持ちになった。
それはCP9としての彼には枷になるものかもしれない。
それでも・・・と願ってしまうのは、ひたすらに私のエゴでしかないけれど。
「もしやお前さん、ワシがおらん間に浮気でもするつもりじゃあるまいな」
私の気持ちも知らずに不埒な容疑をかけてくるカクにガックリと感傷を折られて嘆息する。
「そんな訳ないでしょう」
「いや、怪しいわい。やっぱりここはお前さんも一緒に・・・」
「それはダメ」
「何故じゃ?」
「任務先に私情を持ち込むのは良くないわ。失敗の基よ」
それにきっと、私は勘違いしてしまう。
平和で穏やかな日々をカクと一緒に過ごしてしまったら、そのままでいたいと、
そんな日常が手に入るのではないかときっと思ってしまうから。
一人なら気丈ぶれてもカクの側にいればきっと弱くなってしまう。
そこで流されないと言える程に私は強くない。
「全く、は本当にクールじゃのう。少しはワシが離れていく心配でもせんか」
「心配ってどんな?」
「ワシが他の女子に心移りするんじゃないか〜とかじゃ」
「・・・・・・」
「何笑っとる!失礼なヤツじゃのう。ワシこれでもかなりモテるんじゃぞ!?」
「ええ、存じ上げておりますよ」
「ムッカー!なんじゃその余裕しゃくしゃくな態度は!ああそうかい、よーくわかったわ。
ワシW7でお前さんよりも別嬪で気立てのいい女子を見つけて浮気してしまうからの!」
「どーぞどーぞ」
「なっ、ワシ本気じゃぞ!」
「別にいいよ」
膨れっ面のカクの前に立ってニッコリと笑む。
「カクがどれだけ他の女に心変わりしようが、何度だって私に振り向かせてみせるから」
爪先立ちになりそっとキスをするとカクは目を剥いたまま赤くなった。
やがて大きく息を吐いて天井を仰ぐように額を手で押さえる。
「参った・・・降参じゃ。お前さん以上にイイ女など見付けられそうにないわい」
くすくすと笑いながらその首に腕を回せば、諦めたように笑ってカクの腕も私の腰を抱いた。
「じゃ、話が一段落したところで一緒にピクニックにでも行きましょうか。折角の任務前の貴重な時間、ですものね?」
「お姫さんの仰せのままに、じゃ」
にっ、と口角を上げてカクはふわりと私を抱き上げる。
そして軽々と高層階から飛び降りると身軽に屋根から屋根へ飛び回って滝へと向かっていった。
これくらいの高さくらい別に怖くはないけれど、私はカクの首にぎゅっとしがみ付いた。
ねえ、カク。今だけこの幸せな時間を願うことくらいは私たちにも許されるよね・・・?
不安も願いも轟々と唸り声を上げるエニエス・ロビーの滝が飲み込んでいく。
力強い腕にしっかりと抱かれながら、私は鮮やかな都市を飛ぶように駆けるカクの姿を夢見ていた。
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