Marrow of a Bone−



薄墨で塗りつぶしたような空はまだ日も高いはずなのに時間の感覚を感じさせない。
濃い群青が蠢いているような波間を眼下にブルックは船縁で髑髏柄の専用カップに紅茶を注いだ。
その柄に器用に指骨を差して込んで持ち上げると立ち上る湯気を感じながら一口流し込む。

こんな天候の日は魔の三角海域を彷徨っていた苦汁の年月を彷彿とさせる。
心が蝕まれそうにならない訳ではない。心に影が差さない訳ではない。
けれど後方から聞こえてくる賑やかな仲間達の声がそれを和らげてくれる。正常な場所に心を繋ぎとめてくれる。
そんな掛け替えの無い仲間達と居場所。

そして何より掛け替えの無い存在をここで見つけたから・・・


「ブルック、何を考えてるの?」


唐突に声を掛けられ弾かれたようにそちらを向けば、いつの間にやら隣には船縁に体を凭れ掛ける一人の女性が立っていた。
顎下で揃えられたショートボブが潮風にさらさらと流され、その合間から濃い睫毛に縁取られた黒目がちな目が覗いている。
それは今しがた己の脳裏を占めていた件の女性。


「ヨホホ。なんでもありませんよさん、ただぼーっと海を眺めていただけです」


貴方の事を考えていましたというのは何となく面映く、適当な答えでお茶を濁そうとしたブルックだったが
彼女の方はその答えに納得いかなげな表情で船縁に頬杖をつきその頬を柔らかにつぶした。

やや釣り上がった猫のような目を細めて鋭い眼差しを向けられると
何もやましいことなど無いのに何故だかそわそわと落ち着かない心持ちになる。

しなやかな体を縁に預けて彼女は不満げな視線を海へと馳せた。


「ブルックが黙って海見てる時ってすっごーく気になるのよね。何を考えてるのかって。
 奇襲部隊にいた時のことかしら?ルンバー海賊団のことかしら?はたまたラブーンのこと?
 それとも・・・昔の女のことだったりして、なーんて」


想定外のセリフに驚いて見返せば、彼女は頬杖をついたままちろりと視線だけあげてみせた。

「何故・・・そのようなことを?」
「そりゃ色々勘ぐりたくもなるわよ。ブルックと私とじゃ歴史が違いすぎるもの。
 忘れられない女の一人や二人、十人や二十人いてもおかしくないでしょ?」
「ヨホホホ!いくら何でもそれは増やしすぎですよ。長生きしていたからってそんなにいるわけありません。
 というかそこまでモテませんでしたよ、残念ながら。ヨホホホホー!」

ブルックが呑気な笑い声を上げてみてもはしらっとした顔のまま
どーだか、と呟きぷいと再び海の方へ顔を逸らしてしまった。
取りつく島の無い雰囲気にブルックはオヤオヤと肩を竦める。

女性心理とは往々にして不可解なものだが、彼女の場合はそれが尚のこと顕著だ。
何がきっかけかこちらは一向に分からぬまま気づけばへそを曲げていたり、かと思えばいつの間にか機嫌を直していたりする。
その気まぐれさまで愛おしいと思ってしまうのだから自分も大概だけれど。
まさか死んだあとまでこんな感情に振り回されることになろうとはとブルックはこっそり苦笑した。


「第一言ったでしょう?私が想っているのは・・・さん、貴方です、と」


機嫌を損ねてしまった彼女の気を引こうと苦心して思い切ったことを言ってみたつもりだったが
それは思いのほかさらりと一蹴されてしまった。知ってるわ、と事も無げに呟いた彼女によって。

「でも恋なんて叶わなかった昔のものほど美化されて忘れられなくなるものだもの。特に男の場合わね」
「ヨホホ、随分悟っていらっしゃる」
「恋愛ばかりは年令じゃなくて経験値ですからね」
「ならば私より貴方の方が余程ありそうだ。その忘れられない恋というやつが」
「女は今の恋に生きる生き物なのよ」

そんなことを言われてしまうとなんだか無償に彼女の過去の恋愛経験とやらを突っ込んでみたい欲求に駆られたが
そんな野暮なことをすればより一層へそを曲げられてしまいそうな確信に近い予感がしてブルックは言葉を飲み込んだ。
というか最後のセリフは聞きようによっては愛の告白にも聞こえるのだが、そのあたりも聞き返しにくい。
やはり男なんてものは女性に敵わないように出来ているのか、それとも彼女が相手だからなのか。
いずれにしろブルックは一生かかっても彼女に勝てる日などこないような気がした。
それが性質によるものなのか、はたまた惚れた弱みというやつなのかは分からなかったが。

そんなブルックの心中など知る由もなく、は口を尖らせて見せる。


「そりゃあブルックから見たらまだほんの小娘でしょうし、世代が違いすぎれば価値観の相違も否めないわ。
 ・・・平気そうにしてたってこれでも気を揉んだり不安に駆られたりしてるのよ。少しは察してちょうだい」


まさかこれまでの話の流れがそういう結論に辿り着くとは思ってもみず、ブルックはカップを持ったまま棒立ちになった。
もし瞼があったならぱちくりと目をしばたたかせていたことだろう。
本音を口にしてしまった手前居心地が悪いのか彼女は手持ち無沙汰な様子で船縁にカリカリと爪を立てている。
その目の下が微かに赤くなっているような気がして、ブルックは自然口元をほころばせた。

音にしたつもりはなかったのだが彼女の耳には届いてしまったらしく
今笑ったでしょうと言わんばかりにじろりとねめつけられ、ブルックは嘆息してカップを置いた。

「ヤレヤレ、おかしな話ですね。私よりも貴方の方が不安がっているだなんて」
「なあにそれ?それじゃあまるでブルックの方が不安がるべきだとでも言うみたいじゃない」
「当然でしょう?正直未だに信じられないような気持ちでいるのですよ。
 貴方のような素敵なお嬢さんがこんな異形の者を好いているだなんて・・・本当にいいのですか、私で・・・こんな骨身の体の」
「どうして?ブルックの骨格って綺麗だし、白骨の体なんてセクシーだわ」

後ろ手を組み茶目っ気たっぷりに首を傾げられて思わず詰まる。
その挑発的な上目遣いや意味深な弧を描く鮮やかな赤が自分の心をこんなにもかき乱していることを彼女は自覚しているのだろうか。
動揺を誤魔化すようにブルックは無駄に咳払いをしてみせた。

「そ、そうやって茶化さないでください」
「・・・ブルックの口からそんな台詞が出るとは思わなかったわ」

丸くした目を細めてくつくつと笑うにブルックは困ったようにシルクハットを下げた。

若々しく健康的な美しさを放つ彼女と異形の自分とでは釣り合わないなんて初めから分かりきっていたことだ。
それでも期せずして心を通じ合わせることが出来た喜びから感情のままに動いてしまったが
迷いは立ち消えることなく胸に蔓延っていた。自分では当たり前の幸せを彼女に与えることは出来ないのだと。

「ですから、このまま私と付き合っていても・・・そのう・・・」
「ああ、生産性が無いって事?」
「な・・・っ!あ、あまりそう明け透けに言われると私耳まで赤く・・・あ、私耳なかったです」

両耳を押さえ隠すような仕草をした途端にいつもの口癖が口をついて出るブルックには再び呆れたような視線を向けた。

「茶化すなって言ったのはどこの誰よ。全く、よく言うわ」

からかうように言われてブルックは珍しく口ごもった。
いやしかし、なんてぶつくさ言っているブルックの様子にの口角が耐え切れず上がる。
先ほどまでの自分の心配事なんてもうすっかりどうでもよくなってしまった。
だって彼がこんなにも自分を想い、気に掛けてくれていたのだから。つまりあれは杞憂というやつだった訳だ。

尚も肩を落としているブルックに苦笑する。
ふざけた物言いでつかめない人だけれど、本当は誰よりも優しいのだということを知っている。
そんな所も含めて好きになったのだ。
そんなことを気に病んで欲しくはないけれど、きっと彼の性格上は無理な話だろう。
だったら伝えるしかないのだ。自分の気持ちを。
決意を固めて俯き加減のガイコツを下から覗き込み、ふてぶてしく笑って見せる。


「しょうがないじゃない。感情に正論説いた所でどうにもならないわよ。もう好きになっちゃったの。
 気付いた時にはもう手遅れだったの。そういうものでしょう、恋なんて。
 別にガイコツを好きになろうと思った訳じゃなくて、好きになったのがたまたまガイコツ人間だったの。ただそれだけのことよ」


腰に抱きついてくるに狼狽しながら、ブルックはそっとその背に手を回して抱き寄せた。
彼女はいつだってこうして無邪気に擦り寄ってくるのだが、
その度にその柔肌を鋭利な骨先で傷つけてしまいやしないかとひやひやする。
柔らかな感触にいろんな意味でどきどきしていると、にっと口角をあげたが背伸びしてブルックの顎にキスをした。


「な・・・っ!貴方って人はまたそうやっておかしな所に」
「だってブルック唇無いからどこにキスしていいか分かんないんだもん」


ころころと笑いながら今度は鎖骨に口付ける。
口付けた場所には鮮やかな赤が色付いた。

「・・・もしかして以前よりも濃い口紅に変えたのもわざとですか?」
「白骨に真っ赤なキスマークだなんて素敵でしょう?」

悪戯な笑みを浮かべ赤く咲いた痕を指先でなぞりながら
猫目で挑発するように見上げてくるにブルックは堪らず天を仰いだ。



――― こんな風に散々人を翻弄するくせに、全く・・・よく言いますよ。
     昔の恋を思い出してる暇など、ないじゃありませんか。


顔を引き寄せるようにしなやかな腕がブルックの首へとまわり、が甘えるように身を寄せる。
慌てるブルックに構わずぐっとその耳元に吐息がかかるほど口元を近付けると、鼓膜などないはずのそこが官能的に響いた。


「今にそんなこと考える余裕なんてなくなっちゃうくらい、骨の髄まで愛してあげるから覚悟なさい?」


そうしてリップ音をたてて頬にまた一つ赤い印が咲く。
愉しげな表情にブルックは敵わない、と白旗を上げたいような気持ちになって思わず笑った。
きっと生身の体だったら茹蛸のように赤くなっていたことだろうと思うと骨身で良かったような気さえした。















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 全く、よく言いますよ。とっくに私を骨抜きにしているくせに・・・