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兆候は徐々に現れ始めていた。
宴の最中に歌っていたが喉を嗄らせて中座する事が数度続いた。
それまではどんなに音域の広い曲でもなんなく長時間歌い続けられていたのに、その頃から掠れが気になるようになりだした。
はじめは風邪でも引いたのかと心配されたが体に異常は無い。
あまり曲数を歌わなければ問題はなかった為、そのうち元に戻るだろうと誰もが楽観視していた。
けれど症状は悪化していくばかり。
思うように声が出ず、は初めてのことに戸惑いを露わにした。
他のクルー達もそんな様子を心配そうに見守った。
そしてついに喉に痛みを感じて、は船医に観てもらうことになった。
医務室から出てきた船医は外で待っていたクルー達に渋い顔を向けた。
嫌な緊迫感が漂い、ヨーキが診断結果はどうだったのかと船医に迫る。
船医の話では喉に腫瘍が出来ており、取り除かなければ他に転移してしまう可能性があるとのことだった。
「それを取れば大丈夫なのか?手術すればは治るのか?」
「ああ、今ならまだそんなに範囲も広くないから命は助かる。ただ・・・」
顔を顰め、言葉を探すように船医は押し黙った。そして。
「それには声帯を切除しなけりゃならん」
船医の言葉にクルー達がどよめく。
「そりゃつまり・・・声が出なくなるってことか・・・?」
ヨーキの問いかけに船医は苦しげに頷いた。
その時、船医の後ろからカタンと音がして扉が開く。
「私歌えなくなるの・・・?」
「!」
青ざめた顔でふらふらと歩くにヨーキが心痛な面持ちで近づく。
「、あのな、それでも手術しねェとお前の命が・・・・」
「いや!歌を歌えないなんて、私・・・私・・・っ!」
動揺したは差し出されたヨーキの手を振り払い我を失って取り乱した。
気が高ぶり、やがては糸が切れたようにふっと意識を無くした。
「!!」
ヨーキが慌てて倒れるを抱きとめる。
意識を失ったはぐったりとその身をヨーキの腕に預けていた。
しばらくして意識を取り戻しただったが、受け止めきれない現実にベッドの上で鬱いでいた。
船員達は誰もがを気にかけていたが、ヨーキが今はそっとしてやろうと告げる。
船は次の島に着き、船員達は後ろ髪を引かれる思いで下船していった。
そんな中、ブルックは居ても立ってもいられずに船医室へと向かった。
と話をさせて欲しいと懇願すると船医が席を外し、部屋にはとブルックの二人きりになった。
重苦しい沈黙が部屋を包む。
ブルックは躊躇いからなかなか切り出せずにいたが、意を決して口を開いた。
「・・・辛いのは分かります。けれど、死んでしまったら意味がないでしょう。例え歌えなくなったとしても命さえあれば・・・」
「歌えないのなら死んでしまったのと同じよ」
感情の滲まない声がブルックの言葉を遮った。
「私にとって歌うことはすべてなの・・・ねぇ、ブルックお願いよ・・・私から歌を取り上げないで・・・お願い・・・っ」
ベッドから身を起こし、涙声で縋るにブルックは歯噛みした。
がどんなに歌を好きかはこれまでずっと側にいて嫌というほど知っている。
歌を無くしたが海に身を投げたこともブルックだけが知っている事。
それほどの愛情を歌に注いでいるのに何故からそれが奪われなければならないのかと理不尽な運命に憤りを覚える。
けれど自分にはどうしてやることも出来ない。無力な自分が腹立たしくて仕方が無い。
「歌えない私には何の価値もないのにっ!!」
泣き叫ぶようにしてベッドの上に崩れ落ちたの肩を抱き寄せるようにブルックが支えた。
「そんなこと言わないで下さい。歌えなければ価値が無いだなんて、そんなこと・・・」
船医の言葉を聞いてから、ブルックはずっとずっと考えていた。
の歌は本当に素晴らしく、あの奇跡のような歌声がこの世から消えるなんて惜しんでも余りあることだ。
ブルック自身あの歌声には心底惚れ込んでいる。それは否定しようの無い事実。
けれど、ならばその歌声を失ったには価値がないのかと問われれば、そんな事あるはずもない。
確かにきっかけは美しい歌声だったかもしれない。
けれどとうにブルックは自身に惹かれていた。
こんな時に告げるのは間違いかもしれない。
そんな理性とは裏腹に、ブルックの想いは口を衝いて出ていた。
「例えあなたが歌声を無くしたとしても、私は・・・」
「!ブルック!」
慌しく部屋に駆け込んできた船医によってブルックの言葉は遮られた。
船医は興奮気味に捲くし立てる。
「の声を失わせずに腫瘍を摘出出来るかもしれん!」
上陸した島の酒場で船医が偶然居合わせたのはとある客船の船員達だった。
その船は医療技術の進んだ島から来ており、数日後にそこへ戻る予定らしい。
藁にも縋る思いで船医はの病状を説明し、相談を持ちかけた。
すると船では無理だがその島に戻れば声帯を失わずとも摘出出来る可能性があると言う返事をもらったのだ。
ただし、その島はルンバー海賊団が目指す進路とは逆方向。
しかも歌を歌えるまでに完治するにはかなりの時間を要するとのことだった。
つまりそれはがこの船から降りなければならないということを指していた。
船内の一室で船員達はその話を聞きながら複雑な表情を浮かべた。
「の病気が治るのは嬉しいけど・・・なぁ」
「どうしても・・・降りなきゃならねェのか?」
ぼそぼそと気落ちした声で話す船員達をヨーキが一喝する。
「シケた面してんじゃねェ!の病気も治って、歌も歌えるようになる、最高じゃねェか。それがあいつにとって一番良い。
お前ェらがぐずぐず引き止めちまったらだって行きづれェだろうが。俺達は気持ちよく送り出してやろうぜ、なっ!?」
いつも通りの明るい声を張り上げていたが、部屋を後にするヨーキの背中には辛さが滲んでいた。
娘同然に可愛がっていたを手放すことが寂しくないはずなど無く。
本当は側についていてやりたいと心底願っていても、船長である自分がそんなことを言い出す訳にはいかない。
快活な言葉の奥にそんな苦渋を呑んだヨーキの決断があることを感じ取り、船員達はそれ以上何も言うことが出来なかった。
夜更けにブルックはの様子が気になり医務室に赴いた。
しかしベッドはもぬけの殻で、ブルックは焦り船の中を捜し歩いた。
ようやく見つけたは、甲板で船縁に掴まって潮風に吹かれながら暗い海に視線を落としていた。
「・・・そんな薄着では風邪を引いてしまいますよ」
ジャケットを細い肩に掛けてやってもは身じろぎ一つせず俯いたまま。
ブルックが再び声を掛けようとした時、ふいにが顔を上げた。
「ブルック・・・あの時、何て言おうとしたの・・・?」
の問いかけに一瞬何のことを言っているのかと悩んだブルックだったが、すぐにそれに思い当たった。
それは数時間前に医務室でに言いかけた台詞。
真っ直ぐな眼差しでに見つめられ、ブルックは心を乱す。
やがて決意したブルックはゆっくりと口を開いた。
「例えあなたが歌声を無くしたとしても、私は・・・“私達”は、のことが好きです・・・そう、伝えたかったのです」
別れが待っているのに自分の想いを伝えるべきではない。
そう判断したブルックは自分の気持ちに蓋をした。
ブルックの瞳をじっと見つめていたはその言葉をかみ締めるように目を閉じ俯く。
再び開かれた目は不安と迷いで揺れていた。
「私・・・この船を降りたくない・・・みんなと離れなくないよ」
「・・・」
瞳を潤ませるをブルックが切なげに見つめる。
「ねぇブルック・・・私、みんなと一緒に行きたい。
例え残り僅かな時間でも、みんなと過ごして、この喉が嗄れるまで歌って、それで命尽きるなら・・・
みんなの側で死ぬなら、私・・・」
大きな目に涙を湛えて訴えるに堪らずブルックはその肩を強く掴み揺すった。
「何馬鹿なことを言ってるんです!?せっかく助かる道があるというのに!」
「だって!だって・・・みんなと離れるくらいなら・・・っ」
もどかしさと遣り切れなさで胸を締め付けられながら、ブルックはを睨むように見据えた。
「私はこの船で、志半ばで命を落としたクルー達を見てきました。
彼らがどんなに無念だったかあなたに分かりますか?彼らがどんなに生きたかったかあなたに分かりますか?
あなたは生きる術があるのに自らそれを捨てようとしている。そんなのは甘えです。精一杯生きた彼らに失礼です!」
初めて見るブルックの怒気には怯え、そしてその叱咤に自分の軽薄な言葉を恥じ唇を噛んだ。
そんなの肩から手を離し、ブルックは温度のない声で告げる。
「・・・そんな志の低い人間がこの船にいられては迷惑です」
「ブル・・・ック・・・?」
「そう・・・こんなことが無くたっていずれは同じ結果だったのです。いずれにせよグランドラインにあなたを連れては行けない。
遅かれ早かれあなたに言わなければならないと思っていました。自分の身すら守れない人間がいては・・・・・・邪魔なのですよ」
手酷い物言いにがその顔に浮かべたのは、涙や悲しみの色ではなく、子供のように無垢な表情だった。
ガラス球のように澄み切った瞳にじっと見上げられ、ブルックはきつく目を閉じた。
言葉を吐き出すたびに自分を殴ってやりたい衝動に駆られる。
これまで散々傷ついてきたをどうしてこれ以上苦しめなければならないというのか。
そんな資格など自分には無い。いや、誰にもあるはずがない。
本当は自分だってと一緒にいたい。手放したく無い。
頼むからこのまま船を降りずにずっとずっと側にいて欲しいと言えたらどんなにいいだろうか。
ずっと一人で生きてきたがやっと見つけた居場所に居たいと望むのは当然だ。
本当に成功するかどうか分からない手術にたった一人で立ち向かわねばならず、
それが上手くいったとしてもその先の生活の保障などなにもないのだ。
それを怖いと、逃げたいと感じるのは人としてごく自然な感情だ。
自分にだってそれが分からない訳ではない。
けれど、それでも、ブルックはに生きていて欲しかった。
それが自分のエゴでしかないと分かっていても、どうか生き続けて欲しかったのだ。
奥歯をかみ締めながら、ブルックはわざと厳しい言葉を言い続けた。突き放すように冷たく。
「あなたはお荷物なのです。だからさっさと・・・」
「ブルック!」
が突然焦ったようにブルックの手を握り締めた。
ぎりりと握り締めた拳からは食い込んだ爪のせいで血が滲んでいた。
それを労わる様にそっとが華奢な手を添える。
「音楽を奏でる手をこんな風にしないで・・・お願いよ」
辛そうに眉根を寄せながらはブルックの手を小さな両手で包み込み、ブルックを見上げた。
「ごめんなさい、優しいあなたにそんなセリフを言わせて、本当にごめんなさい」
切なく悲しげな笑みを浮かべたは小さく、しかしはっきりと告げた。
「私・・・船を降りるわ」
そしてはそっと、ブルックの手の甲に口付けた。
「この手にミューズの祝福がありますように・・・」
踵を返し背を向けたの肩は微かに震えている。
ザザン、と一際大きな波音に紛れるように小さな声がブルックの耳を掠めた。
「ブルック、今までありがとう・・・さようなら」
離れていく足音を耳にして、ブルックの頬を一筋の涙が伝っていった。
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