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いつだって誰よりも先に目を覚ますブルックは暁の刻に覚醒した。
しかしその日はいつもと少しだけ違うことがあった。
微かな音色に惹かれるようにして目が覚めたのだ。

もう耳に馴染んだ愛しき旋律に、ああそういえばと思い出す。
昨夜はが初の見張り番になったのだった。
ようやくみんなの仲間入りが出来たみたいで嬉しいとはしゃぎ顔を綻ばせた彼女を思い出してつい頬が緩む。
手早く身なりを整えると、ブルックは寝室の扉を開いた。

温かな歌声がいっそう豊かに耳に届く。

甲板へと出ると見張り台に立つの姿が見えた。
澄んだ空気の中、朝靄がかった海から届く淡い光に照らされるその姿は
この世を照らし出す太陽へと賛美の歌を捧げているようにも見える。
彼女の歌声のせいだろうか。
眩しい光を放つ太陽も、広大な海も、澄み切った空も、そして彼女の姿も全てが神聖なものに映るのは。

ふいに背後から聞こえた足音にブルックが振り返ると
同じように惚れ惚れとした顔で見張り台を見上げるヨーキの姿があった。


「相変わらず見事なもんだなァ・・・」


感嘆のため息を吐くヨーキにブルックも頷いてみせる。
そんなブルックに、笑うなよ?と何やら前置きをしてヨーキは再びを見上げ口を開いた。

「あいつの歌は聴いた人間に永遠を信じさせちまうような気がしねェか?
 この世に不変なもんなんて無ェ。ましてや海賊なんて一寸先はどうなるか分かりゃしねェ身でそんな戯言とんだ笑い種だが・・・
 けどそんなもんが本当にあるんじゃねェかって思っちまう、信じたくなっちまう、あいつの歌を聞くたびに俺はそう思うんだよ」

起き抜けの掠れ声で呟いたヨーキにブルックはしみじみと頷いた。
笑ったりなどするものか。それはずっと自分も思っていたことなのだから。




そんな二人の後方からぞろぞろと寝巻き姿の船員達がやってきた。
開け放してきた入り口から聞きつけたのか、いつもは寝起きの悪い男達が呆けたようにを見上げている。
徐々に騒がしくなってきた甲板に気づいたが見張り台から降りて駆け寄ってきた。

「船長ー!見張り、異常ありませんでした!」

子犬のように駆け寄ってきたかと思うと満面の笑みを浮かべながら仰々しく敬礼してみせるにヨーキも敬礼を返す。

「よし!見張りごくろうであった!」

そんな二人のやりとりに船員達が笑みを浮かべる。

「いやー、の歌声で目覚めると気分が良いなァ」
「ほんとほんと、ブルックのとは大違いだよ」
「これからは毎日が歌って起こしてくれりゃあいいのになァ」

口々に訴える船員達にブルックがショックを露わにした。

「ちょ、アナタ達なんですか!?私のモーニングコールになにか文句でも!?」
「あるに決まってるだろーが!騒音だよありゃ」
「グサーーーーーッ!ショック!ショックですよワタシ!」
「なあいいだろ?頼むよ」
「無視ですか!?ワタシのショックは無視ですか!?」

朝からテンションの高いクルー達にがころころと笑って首を振る。

「ダメだよ、私ブルックのモーニングコール好きだもん」
ッ!よくぞ言ってくれましたさすがです!」
「やっぱりあれを聴かないと朝って感じがしないもんね。ブルック、今日はやらないの?」
「ヨホホホ!リクエストとあらばお応えしましょう!ゴホンッ
 あー、あー、えー今週お送りしていますパワーチューンは名曲『幸せの黒いハンカチ』・・・どうぞみなさんご一緒に!」

どこから持ち出してきたのか分からないマイクを構えてDJ風に語りだすブルックに甲板に集った船員達は一斉に身構えた。

「逃げろ〜♪白い〜ハ〜ン〜カチー♪つーかまーるーな―――♪タコに〜〜♪それスミだ♪イカも来たぞ〜〜〜♪♪」
「ぎゃああああ!せっかくの良い気分が台無しだァァァ!」


大音量の歌声に耳を塞いで喚く船員達を尻目にヨーキが指で耳栓をしながらに話しかけた。

「さっき歌ってた歌は即興だったのか?」
「うん、あんな風に朝日を迎えるのって初めてだったから感動しちゃって。もし起こしちゃったのならごめんなさい」
「何いってんだ、むしろ毎日でも頼みてェくらいさ。けどよ、せっかくの歌なのに観客もなしじゃ勿体ねェぞ」

肩眉を上げてみせるヨーキにがいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「観客ならちゃんといたよ?」

ちょうどその時、ブルックの歌に合わせるようにして海の方からプォーッ!と甲高い鳴き声がした。
それはまだ幼い子クジラの鳴き声。それを聞いたヨーキが破顔する。


「ああ、ラブーンか」


航海の途中で出会ったのは群れから逸れ心細げな顔をしていたまだ小船ほどの小さなクジラ。
ブルック達は泣く子も笑わすルンバー海賊団の腕の見せ所!とばかりに賑やかな音楽でそのクジラを慰めた。
よほどそれが気に入ったのか、以来その小さなクジラはどこまでも船についてくるようになった。
すっかり愛着の湧いてしまった船員達はそのクジラにラブーンと名付け可愛がっているのだった。

船縁から船員達が顔を覗かせ、がラブーンに向かって手を振ると、プォプォ!とご機嫌な返事をしてみせる。

「ぬはははは!最近はやけに可愛い仲間が増え続きだなッ」

くしゃくしゃとヨーキに頭を撫でられてがくすぐったそうに身を捩った。

もラブーンも、もう立派にルンバー海賊団の一員としてこの船になくてはならない存在になっていた。













西に太陽が傾き始めた頃、海に下りるための板をつけたロープを下ろすブルックの姿を見つけたは声を掛けた。

「ブルック?何してるの?」
「魚が大量に釣れたものですからね、ラブーンにもお裾分けをと思いまして」

言いながらブルックは沢山の魚が入ったバケツを掲げて見せる。
が一緒にいきたいというのでブルックは手を貸して板の上に乗せ、二人はそろそろと海上に降りていった。
すると二人の姿を見つけたラブーンが嬉しそうに鳴き声を上げながら近づいてくる。
そうしてブルックの手から嬉しそうに魚を食べるラブーンを見てが目を細めた。

「ラブーンは本当にブルックが好きね」
「ヨホホホ、きっと私がいつも音楽を鳴らしているせいですよ」
「うーん、頭の形が似ているからじゃない?」

くすくすと笑うにブルックもヨホホと笑い、ラブーンもプォプォと楽しげに鳴いた。

「ラブーンはの歌だって大好きですよ。ねぇラブーン?」

ブルックの言葉にラブーンが一際大きく鳴き声を上げる。
その姿はに歌声をねだっているようにも見えた。
ブルックにも促され、は照れたように笑うとしゃがんだまま小さく歌を口ずさみ始めた。
それは子守唄のように優しく柔らかな音色。

きらきらと瞳を輝かせて歌に聞き入るラブーンを横目にブルックもの横顔に見入った。
慈しむように穏やかな表情からは聖母のような気品すら感じられる。
普段はラブーンに負けないほどのあどけなさを見せるのに、とブルックは飽くことなく感じ入るのだった。

歌い終えたがペコリと頭を下げて見せるとラブーンは拍手の代わりとでも言うようにプォプォと鳴き声を上げた。
しかし何故だかいつまでたっても鳴き声は一向に止まない。鳴き声の大きさや高さを変えながらラブーンはしきりに鳴き続ける。
いつもと様子の違うラブーンに首を傾げ声を掛けようとしたブルックをが止めた。

「これ、もしかして今の歌を歌っているんじゃないかしら・・・?」

の言葉に驚いてよく耳をすませてみれば、確かにその鳴き声は何度も同じフレーズを繰り返しているように聞こえた。
が試しに短いフレーズを口ずさんでみる。
するとラブーンはそれを真似るように鳴き声を上げた。

「驚いた・・・まさかこんなに正確に聞き取ってみせるなんて・・・」

音程はまだまだ不安定だがリズムはほぼ正確だ。ラブーンの知能の高さにブルックが感嘆の声を上げる。

「ラブーンは本当に頭の良い子ね。しかも練習熱心だわ」

何度も何度も同じフレーズを繰り返して歌うラブーンにが笑う。
そしてラブーンの頭を撫でるとおもむろに顔を寄せ、その額に口付けた。
その行動に目を丸くしたブルックの横で、は身を起こして温かな眼差しをラブーンに向ける。

「ラブーンにミューズのご加護がありますように・・・」

そう言ってその黒く滑らかな頭を撫でられるとラブーンは嬉しそうな声を上げた。

驚いているブルックに小さく笑っては目を伏せる。

「昔ね、母が私にやってくれたおまじないなの」
のお母さんが、ですか?」

にっこりと頷いて海の彼方へと想いを馳せるようには目を細める。

「もう顔も覚えてないんだけどね、これだけは何故か覚えてるの。
 初めて人前で歌ったとき、緊張して上がってしまった私に母がこうしてくれたの」
のご両親は・・・」
「私がまだ物心付く前に二人共亡くなってしまったの。海難事故で・・・」


海難事故という言葉にブルックは胸を詰まらせ、唇を真一文字に結んだ。
酷なことを聞いてしまったと自分の浅はかさを悔やむと同時に、あの誹謗中傷がどれほどを傷つけたのかと改めて憂えた。
両親を奪った海難事故。それを思い出させるような事故を自分のせいだと言われた時、は何を思ったのだろうか。
自分が歌うことで海難事故が起こるなどと非難され、もしかしたら両親の死も自分のせいであるかのように思ったのかもしれない。
心無い言葉の数々は過去の傷まで抉り、己を責めさせたのかもしれない。
そう思うとブルックは遣り切れない気持ちでいっぱいになった。


「だからかな・・・海を離れられないのは。なんだか海には二人がいる気がして・・・」


切ない笑みを浮かべるの頭をブルックはそっと撫ぜた。
がそれに顔を綻ばせるのを見て少しだけほっとする。


事件の後、セイレーンなどと呼ばれてもが海を離れなかったのは少しでも家族と繋がっていたかったから。
それを知ったブルックは数日前の会話を思い返した。


資産家達に物のように扱われてきたはろくな教育も受けさせてもらえなかったらしく一般常識に疎かった。
歌う時意外はまるで幽閉されているかのような生活を送り、他者との交流も極端に少なかったという。
その為この船に来てからは目にする何もかもに新鮮な反応をみせ、本などから知識を得ることにも熱中していた。
そのような生活から逃げ出そうと思わなかったのかとヨーキが尋ねると

「歌さえ歌わせてもらえば不満はなかったから・・・考えたことなかった」

と、なんともけろりと言ってのけたのだった。

その時はクルー達みんなで呆れるように笑ったものだが、それはの歌に対する並々ならない思い入れの証であった。

海から遠く離れていけば、セイレーンなどという悪名も多少緩和されたはずだ。
しかしは海から離れなかった。それほどまでにかけがえのない歌への可能性に背を向けてまでも。

社会から隔離された生活を受け入れながらもは無意識に人との絆を求めていたのだろう。
それが両親との繋がりを感じさせる海への執着を生み出した。
両親を奪った海が両親との最後の繋がりであったというのはなんとも皮肉な話だ。
それでも、今は船員達との間に絆を育み、はこの船に居場所を見出している。
それが救いだとブルックは思った。


顔を上げたブルックにが愛らしい笑みを向ける。
その可憐な佇まいに歌っている時の神々しい姿を重ね合わせ、ブルックはふと思いついた。


ミューズ。それは音楽や芸術をつかさどる女神。
それはまるで、目の前の少女のようではないか。


「あなたにはセイレーンよりもミューズの方がよっぽど似合っていますよ、


ブルックの言葉にが目を瞠る。
そしてそのサングラスの奥にある目を覗き込むかのようにまじまじと見つめた。
穴が開くほど見つめられてブルックは焦りながら身を引く。

「え・・・?ワタシ何か変なこと言いました?」
「ううん・・・そうじゃ、ないけど・・・なんて言うか、ブルックってそういうことをサラッと言うのね」

そういうこと、と反芻してブルックは自分の言葉を思い返す。

・・・もしかして自分はとんでもなく恥ずかしいことを言ったのかもしれない。
あなたは女神のようだと臆面もなく言ってのける男を気障と言わずして何と言うのだ。

急に恥ずかしさが込み上げてきたブルックはカーッと頬を紅潮させる。
それを見たがつられるように赤面して抗議の声を上げた。

「えーっ!?今頃照れるの!?そんなのナシだよ!ブルックが照れたら私もつられちゃうじゃない!」
「す、すすすみませんッ!」
「そ、そんな・・・謝ることじゃない、けど・・・」

頼りなげに海の上に浮かぶ狭い板の上で二人とも蹲って耳まで真っ赤になっていた。
互いにどうしていいか分からず押し黙ってしまうと耳に届くのは波の音とカモメの鳴き声ばかり。
先ほどまで近くで遊んでいたはずのラブーンも気づけばいなくなっており、どうしようもなく手持ち無沙汰な空気はひどく面映い。

この雰囲気をどう打開していいか分からずにブルックは心音をばくばく言わせながら困りあぐねる。
しかし先に口を開いたのはの方だった。


「ブルック・・・ありがとう」


横を向けば照れくさそうに、けれどとても嬉しそうにはにかむの笑顔があった。
その笑顔にブルックの胸は温かく、けれどぎゅうと締め付けられるように苦しくなる。
無性にに手を伸ばして触れたい衝動に駆られる。

その衝動を必死に押し殺していると、ふいに大きな水音がした。
と、ほぼ同時に大量の水が二人に降りかかる。

驚いた二人は悲鳴をあげて体勢を崩し、板から落ちそうになるのを既の所で堪えた。
顔にかかった水を払いながら海へと視線を向ければプォプォと鳴きながらラブーンがいたずらが成功したと言わんばかりにはしゃいでいる。

「コラーッ!ラブーンなんてことするんですかッ!」

びしょびしょになったブルックが怒声を上げると、船上からぬはははは!と陽気な笑い声が降ってきた。

「よくやったラブーン!」
「せ、船長!?いつからそこに!?」
「ったく、いつまでそこにいる気だよお二人さん?そろそろメシにすっからさっさと上がってこい!」

そう言って甲板へと消えていくヨーキを見上げ、二人は赤らめた顔を見合わせた。
そしてびしょ濡れになった互いを見て笑いあう。

茜色に染まった空を映した大海原でラブーンが楽しげに鳴いていた。














夕闇に染まる甲板での宴。ヨーキは立ち上がるとおもむろに杯を掲げた。

「じゃあ我らがミューズを祝してカンパーイ!」

ヨーキの言葉にブルックがブホーッと勢いよく吹き出す。

「ちょ、船長!?アンタほんとにいつから見てたんですか!?」

船員達はげらげらと笑い、はげほげほと咽た。

「いやーさすがはブルックさんだ!そうッスよね!はセイレーンなんかじゃなくってミューズッスよ!」
「せんちょー!すごいッスねぇ、うちの船には女神が乗ってたんスねェ!」
「ぬははははは!そうだぞお前ェら!女神が乗ってんだ!ルンバー海賊団は無敵だーッ!」
「ぎゃああああ!止めなさいよアンタ達!恥ずかしいわ!!っていうかなんで全員知ってんですか!?」

いい酒の肴が見つかったとばかりに船員達は嬉々としてブルックを囃し立てる。
赤面しながらそれを止めようとぎゃあぎゃあ騒ぐブルックに甲板はますます笑いで沸いた。


完全に酔っ払いになった船員達はご機嫌な様子でデタラメな曲を掻き鳴らし始める。
騒ぎ疲れたブルックはぐったりとして船縁に寄りかかり、その様子を見るともなしに眺めていた。
するとススッと近寄ってきたがちょこんとその隣に腰を下ろした。
思わずそれにドキリとしたブルックに、はお酒の入ったグラスを渡して自分のそれをカチンと合わせる。
おつかれさま、と笑いかけるの頬が赤いのは酔いのせいなのか照れくささのせいなのかは分からない。
けれどてっきりもっと気まずそうにしているかと思っていたブルックは少々面食らった。
朗らかな笑みは気分を害しているようには見えない。むしろ機嫌は良さそうだ。

自分のことで冷やかされても嫌じゃなかったんだろうかなんて思わず考えてしまったブルックは
危うく自惚れてしまいそうになる自分の思考回路を諌めて頭から追っ払った。

けれどこうしてが隣にいて笑ってくれているだけで、先ほどまでの疲れはどこへやら
クルー達のどんちゃん騒ぎにも浮かれた気分になってしまうのだから現金なものだとブルックは呆れた。

ちらりとの横顔を盗み見れば甲板を眺めて優しげに目を細めている。
それはブルックをとても温かな気持ちにさせた。


ふいに今朝ヨーキが言っていた言葉が頭を過ぎる。

確かに海賊なんて根の張らない生き方に不変や安穏を求めるのはお門違いだ。
けれど、の隣にはそれがあった。
海賊でいる限り手に入ることなどないと思っていたはずのゆったりとした心地よさに心が解きほぐされる。

優しくて穏やかな時間。それはいつまでも当たり前のように続いていく気がした。

見上げれば瞬く星はいつもより美しく見え、海からは船員達の歌声にラブーンが嬉しそうに鳴き声を上げるのが聞こえる。
船員達は誰もが楽しげに楽器を鳴らし、船には音楽と笑い声が溢れている。
振り向けばこちらを見ていたと視線が合い、そうしてはにかんだ笑みを見せてくれた。

ああ、なんて幸福なんだろう。

泣きたくなるほどの幸福をしみじみと噛み締めてブルックはに微笑み返した。







その時間に終わりが来ることなど、微塵も疑わずに。






けれど終わりとは唐突にやってくるもの。

そしてそれはこの穏やかな時間に対しても例外ではなかった。
音もなく忍び寄る陰は誰の目にも留まらず、けれど確かに着実に近づいていた。

この時には、もう既に。















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