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食料や物資の調達のためルンバー海賊団はとある島に上陸した。
曇天からはぱらぱらと雨粒が落ち始め、船に雨跡を残していく。
船番となったブルックは甲板に出ていた楽器を船内に避難させ、それらの手入れに勤しんでいた。


「今日の船番はブルックだったの?」


突然後ろから声を掛けられてブルックは驚き振り返る。

「オヤ、ではありませんか。どうしたのですか?てっきり船長達と一緒に街へ出たものと思っていましたよ」
「ヨーキ船長にはそう誘われたんだけどね、船に居る方が落ち着くから残らせてもらったの」

苦く笑うを見てブルックは察する。

謂れ無い噂を囃し立てられ、人々から好奇の目を向けられ続けていたは人と関わることに臆病になっていた。
ルンバー海賊団の一員として船員達と交流を深めてからはそれも緩和されていったようだが
やはり今でも見知らぬ土地に降り立つことには抵抗があるのだろう。
この船がにとって安らげる居場所となっている、そのこと自体は喜ばしいことだ。
外の世界へはこれから少しずつ慣れていけばいい、焦ることもないだろう。

そう思いブルックはに笑いかける。
はそれにほっとしたように笑い返し、ピアノの前の椅子に浅く腰掛けた。

鍵盤を軽いタッチで押すとぽろん、と愛らしい音色が部屋に響く。

も楽器を弾きたいのですか?」
「うーん、興味はあるんだけど、なかなかうまくいかなくて。せめてもう少し手が大きかったらなぁ・・・」

残念そうにため息をついて自分の手を眺めるをブルックが後ろから覗く。
確かにの手は小さく、ピアノでは一オクターブも届かないだろうし、弦楽器の弦を押さえるのも一苦労だ。

「可愛らしくて女性らしい、素敵な手じゃありませんか」
「一オクターブも押さえられないなんてつまらない手よ」

むくれたように言うにブルックはこっそり笑む。
女性らしさ可愛らしさなど二の次で、あくまでもの基準は音楽を奏でられるかどうかなのだなと。

くるりとピアノに背を向けたは背後に立つブルックの手に目を向けた。

「私なんかよりブルックの手の方がよっぽど素敵だわ」
「ヨホホホ、私の手なんて無骨で傷だらけですよ」
「そんなことないわ。ブルックの手はどんな楽器も素敵な声で歌わせられる上等な音楽家の手よ。
 ボーイングなんてとっても綺麗でいつも見惚れちゃうもの」

言いながらはバイオリンを持つブルックの手にその華奢な指をそっと重ねた。

「ブルックの手は楽器を奏で、時に剣を握る・・・優しさと強さを併せ持つ手ね」

骨張った手に細く白い指がそっと触れる。
無骨な手に愛おしげな眼差しを向けるを前にしてブルックの鼓動は高鳴った。
それは楽器に向ける眼差しと同じ。
彼女特有の音を紡ぐものへは別け隔てなく向けられる敬愛の表情だと分かっている。
分かっているはずなのに、逸る気持ちは止まらずブルックは焦りを覚えた。



ふいにの手が下ろされて、俯いていた顔を思いつめたように上げる。
それはがふとした瞬間に時折見せる表情だった。

「あのね・・・ブルック、私、嘘ついてたことがあるの・・・」
「嘘?」

唐突な言葉に面食らいながらブルックが聞き返すと
は言いづらそうに言葉を詰まらせながら自分で自分の手をきゅっと握りしめた。

「私が遭難した理由・・・歌わない私に怒った雇い主に海に捨てられたって言ったでしょう?」

ルンバー海賊団の一員となることを決めた後、はそれまで口を閉ざしていた自身のことについて船員達に話した。
身寄りが無くまるで物のように資産家達に買われて様々な場所を点々としていたこと。
歌うことを止めた後もの歌を欲して買い取っていった資産家がいたこと。
その男の船に乗せられ、歌うことを強要されたが頑なに拒み続けた結果怒りをかい海に投げ出されたこと。

それがが遭難していた理由だと聞き、船員達は憤怒した。もちろんブルックも激しい憤りを覚えた。
けれどは今それを嘘だったという。困惑しながらブルックは俯くを見下ろした。

「本当はね・・・私、自分で海に飛び込んだの・・・」
「えっ!?」

予期せぬ告白に驚きを隠せないブルックだったが
苦しげに唇を噛みしめ、手にいっそう力を入れて固く握りしめるの姿を見て黙って続きを待った。
は言葉を濁しながらもぽつりぽつりと語りだす。

「私を船に乗せたその男の人はね、難破したって良いから歌えって言ったの。
 私の歌を聴きながら死にたいんだって、なんだか挙動不審になって忙しなく体を揺すってた。
 だけど絶対に歌わない私に腹を立ててね・・・」

ある日ついに痺れを切らした男は力づくでも歌わせようとの体を掴んだ。

瞬間、男の目の色が変わった。

童顔で小柄なは年齢よりずっと幼く見えるが、肉体は成熟している。
歌わなくとも他に使い道があったかと厭らしく舌なめずる男には肌を粟立てた。
力の限り抵抗してなんとか男から逃れたものの場所は船の上。
あっけなく船縁まで追い詰められて後がなくなった。
にじり寄る男を前にしては闇夜におどろおどろしく蠢く黒い波間に目を向けた。
こんな男の言い成りにされるなんて絶対に嫌だ。
どうせ歌うことを止めた日から生きている実感なんてなかったのだ。
なら・・・死んだって一緒だ。

男の手が伸びてくる一瞬前に、はその身を海へと投げた。






の話を聞きながらブルックは自分の体が憤りに震えるのを感じていた。
その男は人間のクズだ。そんなやつのせいでが死んでしまっていたかもしれないだなんて遣り切れないにも程がある。

「本当のこと、皆の前で言いづらくて・・・だけど、大好きな皆に嘘ついちゃったことがずっと申し訳なくて・・・それで・・・」

小さな肩を震わせるに胸が痛む。
頼りなげな細い体が儚く見えて、ブルックは堪らずにを引き寄せた。


「そんなこと気にしなくていいですよ。あなたは何にも悪くなど無い、あなたが気に病む必要なんて何一つ無いのです」


抱きしめた体は想像以上に細く柔らかく、驚くほど心許ない。

そう思った途端ブルックは我に返った。
気持ちが高ぶって衝動的に動いてしまったが
冷静になればこんな話を聞いたばかりなのに異性の自分が触れるなんてあまりにもデリカシーが無さ過ぎる。

慌てて離れようとした時、の手がきゅっとブルックのスーツを握り締めた。
胸元に顔を埋めるの表情は見えないが、その手はブルックを縋るように求めている。
それが嘘を許してもらえたことへの安堵だけではないことは明白だった。
忌々しい記憶を思い返して再び蘇った恐怖。
そしてその恐怖を自分以外の者が受け止め、慰めてくれたことへの安心感。
ようやく悪夢から開放され、心の拠り所を求めるを拒むことなどブルックには出来なかった。

離した手を再びの背中へと回す。

不謹慎だと思いつつも、 をこの胸に抱きしめているのだと改めて実感してしまえば心拍数は増すばかり。
甘やかな女性らしい香りや柔らかな曲線にいちいち脳の奥が痺れた。
華奢な体は今にも消えてしまいそうでもっと強く抱きしめたい衝動に駆られるのに
もう一方で簡単に壊れてしまいそうで怖くて力を込められない矛盾に自分を持て余す。

ふいに胸の中からくぐもった声がした。

「・・・アレグロ」

一瞬なんのことかと思ったが、それがテンポの上がった自分の鼓動の速さを指しているのだと分かり顔が沸騰しそうになった。
くすくすとおかしそうに笑うから決まり悪く体を離す。
視線を感じるが居た堪れなくて直視できない。
わざとらしく咳払いをしてブルックはアフロの上のシルクハットをきゅっと被りなおした。


「ありがとう・・・ブルック」


声に惹かれてようやくそちらを向けば、は穏やかな笑顔を浮かべていた。
つられてブルックも顔を綻ばせる。
この笑顔が向けられているのが自分であることが嬉しい。
この笑顔を守れるのが自分であればと願う。
少しでも多くこの笑顔を増やすことが出来たらと・・・

そこに思い至り、ブルックは脇に置いたバイオリンを思い出す。
を一番笑顔にする方法が、ここにあるじゃないかと。

、一曲いかがですか?」

バイオリンを持ってそちらへ向けると、はぱっとその表情を輝かせた。

「いいの?ブルックの伴奏を独り占めだなんて贅沢ね」
 
それはこちらのセリフだろうと内心で思いながらブルックはバイオリンを構える。
ふいにボーイングが綺麗で見惚れてしまうと話したの言葉が頭を過ぎり、妙に意識してしまう自分に苦笑する。
いつもより丁寧に滑らせた弓が軽やかに弦を震わせた。

嬉しそうに前奏に耳を傾けていたがバイオリンの旋律に声をのせる。
体をリズムに合わせて揺らしながら楽しげに、まるでダンスのパートナーと会話するかのように。
二人は顔を綻ばせながら視線を交わし、音色をドラマティックに絡ませていった。

ブルックは高揚感に包まれながら弦の上で幾つもの歓びを奏で続ける。
小さな部屋はこの上ない幸福で満たされていた。

伴奏を弾きながらの歌う姿を見て、ブルックはこの時間が永遠に続いて欲しいと願った。
叶うはずの無い願いだとは分かっていても願わずにはいられない。
音楽家としてこの歌声と共に楽器を奏でていられることは何にも変えがたい幸福だ。

けれどそれだけではない。

もうそのことにブルックは気づいていた。
それを裏付けるようにブルックの胸の奥の旋律は激しさを増していく。


ランプの明かりがおぼろげに照らす船室にその歌声は夜更けまで響き続けていた。














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