−パンドラの箱−
誰もいない教室で机に突っ伏して寝ている少年を見て、少女は微笑を湛えた。
「エースってば、そろそろ起きて」
「んあ?・・・あぁ、もう用事終わったのか。んじゃ帰っか」
猫のようにぐーっと伸びをするエースにはくすくすと笑う。
そんなにエースも眠たげな顔に微笑みを浮べた。
の長い髪を一束とって、そっと指に絡ませる。
「・・・エース」
「平気だよ、誰もいねェ」
静かにたしなめるようなの言葉に、色香を含んだ笑みを返す。
髪の毛からエースの体温が伝わってしまうかのように、の体は熱をもった。
頬を艶やかに染め始めたを見て、エースは押し倒してしまいたい衝動に駆られる。
「なんだお前ら、まだ残っとったんか?」
老齢の男性教諭が教室にいる二人に声をかけた。
二人は焦った様子も見せずそっと離れた。
「今帰るところです」
「そうか。あー、そういえば今回もテスト頑張っとったなぁ。 エース、お前もちっとは見習わんか」
「へーへー」
めんどくさそうに生返事をするエースにはくすくすと笑みを零した。
二人は鞄を持って廊下のほうへと歩き出す。
「だらしない格好をしおって。ちゃんとネクタイをしめろエース」
「わーったって。じゃーなジジイ」
「先生、さようなら」
「おぉ、気をつけて帰れよー。まったく、お前らはまるで正反対じゃというのに本当に仲が良いのう」
特に含みのない教師の言葉にエースは表情ひとつ変えず、は当たり障りのない笑顔を薄く浮べて見せた。
細く伸びた影が二つより添って夕映えに焼かれた。
いつもは太陽のように笑うその顔に少し陰を落としたエースが何故だか大人びて見えた。
それに形容しがたい寂しさを覚えたはそっとその手を掴んだ。
にちらりと視線を向けたエースが緩やかに口角を上げる。
しかしそれを握り返そうとした刹那、前から人が歩いてくるのが見え、の手はすぐに離れてしまった。
失った温度がもどかしさを胸に湧きおこし、エースは堪らずの腕を取って走りだした。
人気のないビルの隙間に押し込むと、性急にその唇を奪う。
互いにたぎるような衝動のままに狂おしいほど求め合い、舌を絡める。
のその曲線に手を這わせればぴくりと反応して切なげに眉を寄せ、それはエースを一層駆り立てた。
けれどその欲望を吐き出してはならないのだと己に言い聞かせ
その飢餓感を埋めるかのように二人は何度も何度も熱に浮かされたように口吻けた。
時を忘れて抱き合えば、気づいた頃にはもう白々とした月が自分達を見下ろしていた。
家に帰って両親の顔を見ればこの胸はまた痛むのだろう。
それでも止めることなど出来なかった。
「私とエース、ひとつになって生まれてきたら良かったのに・・・」
帰り道にがぽつりと呟いた言葉にエースはいつもの笑顔を見せた。
「俺はやだね。別々じゃなきゃキスも出来ない。抱き合うことも・・・」
なぜ、私たちは求め合ってはいけないのだろう。
男と女は自らの半身を捜すために恋をするのだという。
私の半身なんて、エース以外に考えられないのに・・・
きっとこれを知れば母は泣き、父は怒り、他人は蔑むのだろう。
けれど、一緒に生まれてきた私たちがひとつになることが何故いけないのかが理解できない。
それこそが自然だと思うのに・・・
「」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げる。
「何も心配しなくていい・・・なんて、いい加減なことは言えねェけど・・・
何があっても俺が守る。絶対にを手放したりしねェから。・・・っつーか、出来ねェから」
物憂い微笑を浮べるエースに、あぁ、また不安にさせてしまったと後悔する。
誰を悲しませても、誰を裏切ることになっても。
エースだけは離せない。離れなくない。守りたい・・・
エースを安心させるように出来うる限りそっと優しく笑ってみせる。
するとエースも安堵の色を表した。
私たちは今日も同じ家に帰る。
そして“ごく普通”の家族を演じてみせる。
疑うことのない家族の優しさにまたひとつ傷を増やしながら
それでも止められないんだ。
パンドラの箱はもう開けてしまったから―――
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